「……あのさ、チェーザレ」
声をかけられて、黒髪の少年は溜息まじりに視線を上げる。
大方、次に彼の口から紡がれる言葉の予想はついていた。
傍に立つ紫髪の少年はそんな彼を見つめながら、困惑したように眉を下げて、いった。
「なぁチェーザレ、俺は確かにもう少し広い部屋に住みたいとは言ったけど……
これは、落ち着かないぞ、というか俺家賃払えるのかなこれ」
やはりだ。
そう思いながらチェーザレは溜息を吐き出し、彼……ラヴェントに言った。
「仕方なかろう、父に頼んだ結果がこれだ」
「別に、特別な頼み方をしたつもりはないのだが。
"前に私を助けてくれた警官が一人いるのだが、その者が新しい住まいを探しているらしい。
今もボルジア家所有のマンションに住んでいる男だから危険な男ではない。何かいい物件があれば斡旋してほしい"と頼んだ」
それだけなんだが。
呟くように言ってから、チェーザレは溜息を吐き出した。
「息子の私が言うのもなんだが、父はほとほと親馬鹿でな……
私が何か頼みごとをすると必ずと言っていいほど倍……いや、それ以上の結果を持ってくる」
それを見越して頼むべきだった。
チェーザレはそういって、溜め息を吐き出す。
ラヴェントは改めて、眼前の少年の生まれを思い返してから、自分が通された、これから自分の部屋になる(かもしれない)部屋を見渡した。
……部屋、というよりワンフロア。
大きなリビングダイニング。
部屋は、一体いくつあるのだろう。
確かに広い部屋に引っ越したい、とは言ったけれど……
それはあくまで元々住んでいる六畳一間のワンルームから少し広い部屋に引っ越したいと思っただけであって……
こんな豪華な部屋に住みたいといったわけではない。
ぐるりと部屋を見渡したラヴェントは小さく息を吐き出して、いった。
「なあ、家賃とか払えるかなこれ…一室だけでも不安なレベルなんだけど……」
ぐるりと一面、如何にも良いマンション、といった風だ。
大分貯金はしている方だが、毎月家賃を支払えるかどうか、心配になってくる。
ラヴェントがそういうと、チェーザレはきょとんとした顔をした。
「……は?まさか父がお前に家賃を払わせる気だと?
まさか、あのロドリーゴ・ボルジアだぞ?贈与に決まってるだろ」
息子が恩人だと説明した相手に金を払わせるはずがない、とチェーザレ。
ラヴェントはそんな彼の返答に一瞬あっけにとられたが、すぐに慌てたように声を上げた。
「は!?い、いや、それこそ贈与税とかてか固定資産税とかなんとか……」
譲ってもらえるにしたって、諸々費用がかかる。
というかヘタをしたらそっちの方がかさむ。
ラヴェントがそういうと、チェーザレは首を傾げつつ、言った。
「さあ、何も言わなかったことを見ればそれすら払うんじゃないかな」
「なにそれガチ貴族こわい」
というか、そんなに甘えて良いものか。
幾ら自分より余程身分というか、階級の上の人の子とはいえ、子供。
そんな彼の好意に甘えられるほどのことをしたわけでもない。
あくまでも自分は警官として当然のことをしただけで……
そんなことを考えながら眉を寄せているラヴェントを見て、チェーザレは小さく笑った。
そしてぽん、と彼の背を叩きつつ、言う。
「まあ受け取っておけよ、まあ住む人間は一人なんだからワンフロアは流石にやりすぎだとは父に言っておく……
ま、私がよく来る故に見張りの者達の部屋でもありそうだがな」
そう呟いてから、彼は少し考え込む顔をした。
それから、"あぁそうだ"と小さく声をあげた。
「いっそ、私も此処に住もうか。
どうせ、部屋も余っているだろう……
何より、ホテルじゃなくても飯が出てくる」
「え」
驚きの声を上げるラヴェント。
それを聞いてチェーザレはふ、と笑う。
「どうした?別に構わんだろう、一人では部屋を持て余すだけなのだろうから」
それとも何か問題が?
そういって笑う彼。
ラヴェントは視線を揺らした後、無言でこくりと頷いた。
勿論、嫌なはずがない。
寧ろ……良いのか?と思った、というのが正解だ。
ラヴェントはチェーザレのことを好いている。
そんな自分が彼と一緒に住める、というのは……幸福なことで。
チェーザレはそんな彼の感情を知ってか知らずか、ふわりと微笑んで、いった。
「お前が構わないというのなら、私はそうするぞ。
家具も頼もう。流石に、あの固いベッドで寝るのは嫌だ。
……お前のも大分古くなっているようだったし、ついでに頼んでしまえばよかろう」
「ちょ、チェーザレ……」
「何か?」
こてり、と首を傾げるチェーザレ。
ラヴェントはそんな彼を見ると、小さく苦笑を漏らして、"何でもないよ"と笑ったのだった。
***
それから数日。
「まー、おさまるところにおさまったって感じっすね」
引っ越しの手伝い兼チェーザレのお目付け役として、ミケーレもラヴェントの新しい部屋に来ていた。
チェーザレが注文していた家具も届き、殺風景だった部屋は一気に生活感のある物になっていた。
「なかなか良いな……家主は何だか落ち着かんようだが」
そういいながらチェーザレはキッチンに立っているラヴェントを見て、くすりと笑う。
ラヴェントは苦笑まじりに返した。
「仕方ないだろう……実家だってこんなに綺麗なキッチンじゃなかったよ」
嬉しいけどな。
そういって小さく笑うラヴェント。
彼は料理が好きだし、キッチンが綺麗で嬉しいのだろう。
家具やら家財道具やらを選んでいる時にも、彼が興味を持って選んでいたのはベッドやソファではなく、食器類だ。
「ま、優秀な料理人が居るというのも悪くない。
ホテル暮らしにも飽きてきたところだ、ちょうどいい」
チェーザレはそういって笑う。
ミケーレも"世話になるっすよ"といって彼に笑いかけた。
「まぁ、これだけしてもらったならね……まぁ、料理くらいならするよ」
今日は仕事も休みだったから、とラヴェントは完成した料理をテーブルに持ってきた。
おお、と声を上げる二人は嬉しそうに表情を輝かせている。
―― こうしていると、子供らしいんだよなぁ……
そう思いながらラヴェントは目を細める。
そして"引っ越し祝いのささやかなパーティーを開こう"と彼らに笑いかけたのだった。
―― 嬉しい誤算と、これからに ――
(グラスをぶつけ合う、小気味よい音。
これから始まる、楽しい日々に)
(乾杯、という声。
嬉しそうに表情を綻ばせている子供っぽい青年を見つめる主人の顔は、何処か楽しそうで…)