降り注ぐ陽射しは秋というには少々暑い。
滲む汗を手の甲で拭って息を吐く日中。
氷属性魔術使いのシストには少々辛いものだった。
魔術は上手く発動しないし、体は気怠い。
強い氷属性の魔術を使える者ほどこういった陽気では弱ってしまう。
しかし、だ。
夜になればそれが酷く下がるのだ。
薄着で外に出れば、ひんやりとした空気を感じて、上着を探す。
まるで一日の間に夏と冬とを味わっているような気分。
そんな気候だから……
「へっくしゅ……」
小さくくしゃみをする、シスト。
ずず、と鼻をすする彼の頬は真っ赤だ。
暑い。
否、寒い。
関節が痛い。
そう思いながらシストは体を震わせて、布団を体に巻き付けた。
そう、彼は風邪を引いたのである。
まぁ、予測出来たことではあったけれど。
今日は任務も休みで、部屋で休め。
統率官(ルカ)からもそう言われ、一人でベッドで潰れている。
小さく咳き込み布団で丸くなる。
看病しようかとパートナーが申し出てくれたが、彼に風邪をうつすわけにはいかないし任務もあるだろうし、と断った。
シストも決して体が強い方ではないけれど、パートナー……基フィアの方が弱そうだ。
事実、幼い頃はよく体調を崩していたというし。
そんなわけで、現在もシストは一人きり。
誰もいない、ベッドばかり二つ有る部屋にいるわけである。
「寒……」
そう呟いたのは、決して体の寒さ故ではない。
一人きりでいるというのは、寒いのだ。
心細い、というのが正解だろうか。
そう思いながらシストは苦笑を漏らした。
しかし誰かに助けを求めるというのも違うだろう。
体調を崩したのも、自分の不注意。
こんな気候なのはわかっていたのに、気を付けなかった自分が悪いのだ。
そう思いながらシストは一人、耐える。
目を閉じる
眠ってしまおう。
そうすれば寒さも寂しさも感じまい。
少ししたらアルあたりが薬を持ってきてくれるはず。
そう思いながらシストはふうっと息を吐き出した。
***
そっと、頭を撫でられるのを感じて、意識が浮上する。
アルか?
いや、それにしては手が大きい。
じゃあジェイドだろうか?
いや、それにしては手が小さい。
「誰……」
掠れた声を漏らす。
目を開けるが、熱があるからなのか、寝起きだからか、かすんでいてよく見えない。
誰、と声だけで問いかければ、その声の主は驚いたのか、一瞬手をひっこめた。
しかしすぐに小さく、笑い声が聞こえる。
「誰、って……忘れたのか?」
まったく、と小さく笑う声。
それは、よく知っている声だった。
否、よく"知っていた"声だった。
驚いて、シストは瞬きを繰り返す。
掠れていた視界が晴れ、少しずつ見えるようになった。
そこに立っていたのは声の主。
よくよく知っている、大切な相棒の顔。
にこにこと笑う、緑の瞳。
柔らかい、若草のような髪が風に揺れた。
「窓閉めっぱなしは体に悪いぞ、換気しとかないとな」
そういいながら微笑む少年は、確かに……
「エルド……」
「何?」
どうした?
そう問いかけるエルドの声。
それを聞いてもう一度瞬きをしたシストのアメジストの瞳には涙があふれ出した。
どうして、という掠れた声。
それは相手……エルドにも聞こえたようだ。
彼はぱちぱち、とエメラルド色の瞳を瞬かせた後、にっと笑った。
「傍にいてほしい、って思ったのはシストだろ」
だから来たんだよ。
そんな風に笑う、エルド。
いつも通り、かのように手を伸ばして、涙を拭ってくれる。
その手は優しく、温かく。
それを感じて、シストはさらに涙をこぼした。
大丈夫か?
そう問いかける声も。
エル、と呼ぶ声も優しく。
それは愛しい、大切な、相棒の声で……――
揺らぎそうな意識を必死に、つなぎとめる。
目を閉じてしまったら、眠ってしまったら、もう彼はいなくなってしまう気がして。
必死に起きようとするシストを見て、エルドは笑う。
そして優しく、シストの長い前髪を指先で払った。
「ほら、寝ろよ」
寝ないと治らないぞ。
そういって笑うエルドに、シストはふるふると首を振った。
いやだ。
そう呟いた声に、エルドはこまった顔をする。
「どうしてだよ」
「だって」
だって、の先は言葉にならない。
げほげほと咳き込むと、エルドは慌てて体を起こすシストの背をさする。
必死に、その服に縋り付こうとする。
いかないで、と訴えるように。
そんなシストの想いは通じていたのか、エルドは逆にそっとシストの手を握った。
そして優しい優しい声で言う。
「大丈夫だよ」
何が。
根拠のない"大丈夫"。
シストは泣き出しそうな声で、問いかける。
「大丈夫だって」
だから何が。
掠れた、掠れた声で問いかけるのと同時に、シストは目を閉じた。
―― ……だから、……いじょうぶ。
その声は、よくわからなかったけれど。
目を閉じる直前に見えたエルドの顔は優しく、微笑んでいた。
***
ふ、と目を開けた時には、体は楽になっていた。
体を起こせば、隣には看病に来ていたらしいフィアがベッドに突っ伏す形で眠っていた。
ベッドサイドには水の入った桶と、タオル。
薬の入った袋と、水入りのグラス。
「夢、か」
夢だろう。
随分と、リアルな夢ではあったけれど夢だ。
そう思いながらシストは苦笑を漏らす。
さびしいあまりにあんな夢を見るなんてまるで子供のようだ。
そう思いながら、シストは息を吐き出す。
「フィア」
傍で突っ伏して眠っている今の相棒に声をかける。
このままでは、彼の方が風邪を引いてしまうかもしれない。
「ん……」
声を漏らしてゆっくりと目を開けるフィア。
彼の蒼に、一瞬かつての相棒の緑が重なる。
「ん……シスト、起きたのか……だいじょうぶか」
そう問いかける声は、少し寝ぼけているようだ。
シストは珍しいフィアの様子に小さく笑いながら、頷いた。
「あぁ、大丈夫だ。有り難う……ずっと、ついててくれたのか」
タオルとかも、ありがと。
そうシストが言うと、フィアは怪訝そうな顔をした。
「俺は何もしていないぞ、俺が来た時にはもう全部用意してあった」
シストはそれを聞いてあれ?という顔をする。
「じゃ、アルかな……」
「アルは今日任務でいないはずだが?ジェイド様もお忙しいといっていたし……
だから、俺が何か、してやろうと思ってきたんだが」
誰かがしてくれたんだろう。
そう呟くフィア。
シストはそっと、視線を窓の方へ向ける。
ふわり、と揺れたカーテン。
自分で開けた記憶のない窓が開いている。
そこにぽつりと置かれているシロツメクサの花かんむりを見て、シストは大きく目を見開いた。
「え」
「?どうした、シスト」
シストはベッドから降りて、それを手に取る。
不器用な、綺麗とは言い難いような、花かんむり。
それは……
「……夢、だった、はずなんだけど」
あぁ、どっちでもいい。
そう思いながら、シストはその花かんむりを愛しそうに抱きしめた。
―― Clover ――
("私を思い出して"
そんな想いの込められた、不器用な花かんむり)
(昔戯れにあいつが作っていた、それそのもの。
嗚呼、忘れられるはずがないじゃないか…)