呆れた、溜め息。
眼前に立つ少年をおずおずと見る。
自分より背の低い相手。
それなのに、向ける視線はきっと、親に怒られる子供のようなそれなのだろうと、どこか他人事のように思った。
「どうしてお前はすぐにそうやって無理するかねぇ」
呟くようにそういいながら、エメラルド色の瞳の"元相棒"は苦笑した。
魔力が存在するこの世界。
不可能なんてものは、存在しない。
例えば……死んだ人間に会うことだって、不可能ではないのだ。
尤も、それは生きている人間にとって、非常に問題なのだけれど。
「俺に会うことの意味、分かってるだろ?お前、死にかけてんだぞ」
そう。
死んだ人間と会えるのは、生きている人間が死にかけている時。
今日も任務中に酷い結果をした所為で、こうしてエルドと会えているのだ。
馬鹿、といわれて紫髪の少年……シストは首を竦める。
しかしじとりとした視線を相手、エルドに向けて言い返した。
「エルドには言われたくない」
反撃されて、エルドは少し面食らった顔をした。
しかしすぐにくっと笑って、いう。
「だろうなぁ」
まぁ俺もよく無茶をしたしなぁと笑う顔。
それは、彼がいなくなったあの頃と全く変わっていない。
背丈はとっくに自分が彼を抜いてしまった。
笑いかける顔も、彼のそれの方が幼い。
……もう二年たつもんな、と何処か冷静に考えた。
これからどんどん、彼との差は広まっていくのだろう。
年も、経験も、全部全部……――
ぐっと唇を噛む。
エルドはそんなシストを見て、不思議そうに首を傾げる。
どうかしたか?
そう問いかける。
シストは暫し目を伏せていたが、やがてその視線をあげて……声を、出した。
「……なぁ、エルド」
「ん?」
優しい、彼の瞳。
それを見つめ、シストは言う。
「そっちに、……俺も、いきたい、っていったら……」
そう言葉を紡ぐ。
エルドは驚いたように目を見開く。
しかしすぐに彼は微笑んだ。
そしてゆっくりと首を振って、いう。
「駄目」
返答はわかり切ったもの。
頷いてくれる可能性が殆どゼロだということは、わかり切っていた、けれど……――
目を伏せるシスト。
それを見て、エルドは笑いながら、いった。
「わかってるだろ」
「わかってる、けど」
死ぬほどの傷ではきっと、ないから。
帰りたいと思えばすぐに目を覚ませるだろう。
そうわかっているけれど……
彼のことが、好きだった。
彼と笑いあうのが、好きだった。
戻ってきてほしいと願うけれども、それが叶わないというのなら、いっそのこと……
そう思ってしまうのも、無理はないと思うのだ。
頬を冷たいものが伝い落ちていく。
エルドは目を伏せたシストを見詰めて、軽く頬を引っ掻いた。
「……泣き虫だなぁ」
そう言いながら手を伸ばすが、その手がシストに触れることはない。
薄い氷のような壁が、二人を阻んでいるのだ。
決して乗り越えることが出来ない壁。
エルドはその手をおろした。
「誰の、所為だよ」
掠れた声でシストは言う。
誰の所為でこんなに泣き虫になったんだ、と。
エルドはそれを聞いてふっと笑う。
「俺?」
わざと、冗談めかして返してやる。
シストはそれを聞くと顔を上げた。
半ば睨みつけるようにエルドを見つめながら、震える声で言う。
「っ、それ以外に、誰が」
「はいはい」
わかったよ。
そういって笑うエルド。
ふわりと風が吹く。
それはまるでシストの背を押すような風。
ふらりと一歩踏み出せば、薄い壁を突き破ってしまいそうな。
……こちらに来たらもう戻れなくなる。
それはエルドもシストもわかっていることだ。
「……もう、時間がないな」
エルドはそういって、微笑む。
シストは目を伏せたまま唇を噛んだ。
「なぁ、シス」
静かな声で呼びかけてやると彼は軽く肩を震わせて、顔を上げた。
エルドはそんな彼に笑いかけて、いう。
「そんなに辛いんだったら、忘れていいんだぞ」
俺のことなんか、忘れてしまえば良い。
そう言いながら彼はくっと拳を握った。
見開かれたシストのアメジスト色の瞳を見つめたままに、精一杯に笑って見せた。
「俺は、お前に辛い思いさせたかったわけじゃないんだよ」
だから、そんな顔をするくらいならば俺のことは忘れてしまえば良い。
エルドは微笑みながらそういうのだ。
そんな顔をさせてごめんと。
いつも思ってくれてありがとう、と。
もう何も心配しなくて良い。
もう自分は何処も痛くない。
苦しくない。
心配いらない。
そういったのに、なあ。
「何でお前はそんな風に泣くんだよ」
しょうがない奴だな。
そう言いながら笑うエルドの頬に涙が伝い落ちる。
それに気づかないフリをしながら、シストはぐいと自分の涙を拭った。
「……わかってる。でも、忘れない、から」
エルドのことは、忘れない。
そうきっぱりと言い切る彼はやはり、強いのだろう。
エルドはそう思いながらふっと笑った。
「わかってんならそんな顔すんなよなぁ」
まったくしょうがない奴だ。
そう言いながら笑う、エルド。
彼はシストに笑いかけて、いう。
「……ほら、おやすみ」
もう、休まなきゃ駄目だ。
そうエルドが歌うように言うと同時に、シストの体は力を失う。
眠るように倒れていく体。
それを支えることが出来ないことはわかっているのに、エルドは思わず彼に向かって腕を伸ばしていた。
彼の体が消える。
戻ったのだろう。
そう思いながらエルドは伸ばしかけた腕を降ろす。
吹き抜ける風は止んだ。
もう彼がいた痕跡はない。
彼は、無事に生きたのだろう。
「……なぁシス」
弱い声で、彼の名を紡ぐ。
もう彼には、届かない言葉を。
彼に伝えてはならぬと堪えた言葉を。
「俺がさっきの問いかけに頷いてたら……お前は……」
そう呟き、すぐに首を振る。
本当は。
本当はもっといいたいこともあった。
話したいこともあった。
でも彼を此処に引き留めていたら……もう手放せなくなってしまう気がして、だから、わざと突き放した。
―― 忘れて良い、なんて酷い強がりを言ったもんだ。
自分に、思わず苦笑する。
「……大好きだったからなぁ」
そう簡単に忘れられないのは、諦められないのは、自分も同じこと。
そう思いながら、エルドはふっと息を吐き出した。
でもその言葉は、彼に伝えてはいけない。
すべて、この胸にしまっておこう。
―― もう、彼は一人ではないのだから。
エルドはそう思いながら目を閉じた。
***
ふっと、眼が開く。
ゆっくりと瞬きをして、体を動かした。
「っ、く……」
痛みに小さく呻く。
ハッと息を飲む音が、すぐ近くで聞こえた。
「シスト」
自分の名を呼ぶ、亜麻色の髪の騎士の声。
それを聞いて、シストはふっと微笑んだ。
つい先ほどまで会っていたかつての相棒とは違う表情、声色、雰囲気。
けれども……
―― この泣き出しそうな顔は、彼と一緒だ。
「そんな顔、すんなよ」
シストはそういって笑う。
先程、エルドに言われたことをそのままに。
「……馬鹿」
険しい表情で、けれども安堵した風に、彼は言う。
軽く額を小突いた指は、微かに震えていた。
「……あまり無理をするな、心臓に悪い」
そういった亜麻色の髪の騎士はふいとそっぽをむいた。
もう自分の方を見ようとしない彼の様子に、シストは少し表情を綻ばせる。
「……ごめんな」
その言葉は、どちらに告げたものか。
自分自身でもわからないままに、シストはその言葉を紡ぐ。
そしてふっと一つ、息を吐き出したのだった。
―― 告げる言の葉は ――
(本当は伝えたいこともある。
本当は口に出したい言葉もある)
(だけどそれが彼を苦しめるなら…
その言葉は、全て胸にしまっておこう)