嫌な予感というのは存外当たるものだ。
元よりゲンを担ぐ方ではないし、占いの類も信じない。
しかし虫の報せというのか、そういったものは信じてしまうもので。
時間がかかっているなとは思っていた。
大きい群れだからと派遣した騎士の数はそれなりに多かった。
魔獣の討伐は総合部隊雪狼の得意分野の一つだというのに、と。
その瞬間に胸をよぎったのは、かつての記憶。
帰りの遅い部下。
血まみれで戻ってきた一人。
姿が見えなかった彼の相棒の姿。
あの時を思いだすなんて、縁起が悪い。
そう思いながら自嘲の笑みを浮かべた、その瞬間だった。
飛び込んできた部下の焦った顔を見て、理解する。
"想定以上に魔獣の数が多く、負傷者多数"
その報告に、俺は手元にある書類を握りしめた。
***
普段は静かな医療棟が騒々しい。
その原因は、魔獣の討伐に赴いていた雪狼の騎士の多くが負傷したためだった。
報告より多くの魔獣がおり、対処が難しかったこと。
魔獣の中に変異種が居たため一層対処に苦慮したこと。
それが原因だと、比較的軽傷で済んだ騎士が報告していたのを耳にした。
任務の遂行が難しいと察知した部隊の統括役が空間移動術を使い、一斉転送を行った。
結果医療棟は大騒ぎになっている訳だが、その判断は適切であったと医療部隊の騎士たちは言った。
傷を負った者が多い。
中には重傷の者も居り、徒歩で戻るまでには命を落としていたかもしれない。
戦闘を続行しようものならば死者が出ていたかもしれない。
「傷の深い者から治療を!動ける者は状況報告及び応急手当の手伝いを!」
良く通る声で医療部隊長が指示を出す。
珍しく焦りの色を滲ませた彼の声を聞き、医療部隊の騎士たちは仲間の手当てに全力を注いだ。
そんな中。
傷を負った騎士たちの手当てをしながら、白髪の少年……アルは周囲に視線を巡らせていた。
今日は普段より多い人数での任務だったと聞いている。
そこに自分の親友も参加していたと聞いていた。
しかし、その親友の姿が見えない。
彼の魔力はよくよく知っているためさがそうと思えば出来るが、今の混乱の中では難しい。
それに、優先すべきは眼前の患者である。
それを理解しているアルは不安をふり払うように首を振って、手当の済んでいない騎士が居ないか見て回った。
「!シストさん!」
騒ぎの中見つけたのは、親友……フィアのパートナーである少年、シストで。
彼もまた、傷を負ったのだろう。
真っ白い制服の所々が血に染まり、頬にも血が伝っている。
彼はアルの声に気づくと顔を上げた。
駆け寄るアルに"空間移動術を使ってくれ"と縋るような声で言う。
「え、え?」
困惑した声をあげるアルの肩を掴み、彼は顔を歪める。
「急げ、早く、行かないと」
掠れた声で言うシストも、決して軽い怪我ではない。
動けないほど重傷という訳でもないようだが、大人しくしていた方が良いのは確かだ。
そんな彼がこうも慌てている。
その原因は恐らく彼のパートナー……フィアに係ることなのだろう。
アルは冷静にそう分析すると、一つ深呼吸をした。
自分が慌ててはいけない。
患者にもその焦りは、不安は、伝わってしまうから。
自分の師から教えられたその言葉を思いだし、冷静を装いながら、アルは彼に問いかける。
「シストさん、まずは手当をしましょう。
……フィアに何かあったんですか?」
「っ、退却する前にはぐれた、すぐ傍に居たはずなのに!」
少し震える声で、彼は言う。
アルはそれを聞いて、目を丸くした。
若干支離滅裂な彼の言葉を纏めると、戦線が崩壊し、退却するとなった時、フィアの姿が近くになかったのだという。
恐らく少し離れた場所で戦っているうち、戦線から外れたのだろう。
退却の指示が聞こえなかったか、或いは空間移動の範囲外だったために一緒に戻ることが出来なかったのだろうと彼は言う。
悔し気に顔を歪め、彼は立ち上がろうとする。
腕の包帯がほどけるのも他所に駆けだそうとする彼を引きとめ、アルは叫ぶように言った。
「駄目ですシストさん、まだ動いちゃ!」
「大丈夫だ、大したことな……」
大したことない。
そう言いかけたシストの体が傾ぐ。
出血もかなりあったし、貧血気味なのだろう。
アルが慌てて支えようとするより先に、その体を誰かが支え、座らせた。
「少し落ち着け」
冷静な声でそう言うのは、黒髪赤眼の青年。
雪狼の統率官。
「ルカ様……」
アルが名を呼べば、彼は小さく頷く。
恐らく報告を受けて、此処に来たのだろう。
彼は今日、城で待機していたため、現地には行っていなかった。
本来、統率官が出るまでもない任務だったはずなのだ。
彼自身にとってもこの被害は想定外のものだったのだろう。
「酷い状況なのは聞いている。
退却が遅れた者が居ることも報告を受けた」
「だから急いで……!」
「落ち着け、っていってるんだ」
急いで行かなければ、と声をあげるシストをルカが冷静に諌めた。
その冷静さが癇に障ったのだろう。
シストは顔を歪め、叫んだ。
「落ち着いて居られる訳がないだろ!」
状況は極めて悪い。
無事に空間移動出来た者の中にも重傷者はいる。
もしかしたら、撤退できなかった者の中にもっと傷の深い者がいたかもしれない。
そのまま、魔獣の群れの中に取り残されていたとしたら。
……想像したくない、悍ましい”もしかしたら”が頭をよぎる。
拳を震わせるシストの頭を少し乱暴に撫で、ルカはいう。
「その体で行ってどうするつもりだ。
体勢を立て直していかないことには二の舞だろ」
静かに、冷静な声音でルカは言う。
その言葉は事実だとシストも理解は出来る。
しかしそれでも、と唇を噛む彼に、ルカは軽く笑いかけた。
「任務に赴いたのはそれなりに戦闘経験を積んだ奴らばっかりだ。
勿論、フィアだって弱くない、大丈夫だ」
「何を根拠に!知ってるだろ、フィアは……!」
幾ら騎士として働いてるとはいっても、本来は守護されるべき女性なのだ。
そう言いかけた時。
「シスト」
先刻より強い口調で、ルカに言葉を遮られた。
彼は険しい顔をして、シストに言う。
「それはフィアに対する侮辱だ」
「……ッ、わかってる、わかってるけど!」
ああ、わかっている。
今自分が口走りかけたことは、今までずっと騎士として生きてきたフィアへの侮辱だと。
しかし、それでも、とシストはルカに言う。
「もし、もし万が一、フィアに何かあった時も、お前は言うのか?
彼奴は騎士として勇ましく戦って散った、って。
そういって諦めることが出来るのか?!」
「そう言わざるを得ないこともあるかもしれないな」
静かにそう言うルカを見て、シストはぐっと拳を握った。
それと同時、ルカに飛びかかる。
「お前……ッ」
身構えてすらいなかったルカをあっさり床に押し倒し、殴りかかろうとした。
しかしそれはルカ自身の手で阻まれる。
ルカはルビー色の瞳でシストを見上げながら、いった。
「それくらいの覚悟がないと、やっていられない」
「お前、そんなあっさり……!」
よく、そうあっさりといえたものだ。
仲間を喪う辛さは、悲しみは、お前もわかっているだろう。
否、わからないからそんなことを言うのか!
激情に任せてシストがそう叫ぶと同時、くらりと意識が揺れた。
そのまま、シストはルカの上に倒れ込む。
ルカは其れを抱き起こし、アルの方へ倒した。
「有り難うアル、お前だろ」
シストは眠っている。
シスト自身の体が限界であったのもあるだろうが、一番の要因はすぐ傍にいたアルがかけた麻酔魔術だとルカも察知していた。
礼を言う彼を見て、アルは顔を歪め、言う。
「……シストさんは、言い過ぎです」
ぽつりと呟くようにアルは言う。
ルカが思っていないはずがない。
フィアはシストにとってかけがえのない相棒だが、ルカにとっても大切な家族。
そんな彼の行方が知れない状態になっているのだ。
心配しないはずがない。
それなのに、シストはあんな冷たいことを……
ルカが傷ついていることもフィアを心配していることもアルは感じ取っていた。
それを必死に押し殺して冷静に振舞っていることも……
しかしルカは笑みを浮かべる。
そして軽く首を振ってから、軽くアルの頭を撫でた。
「いいんだよ、此奴が言うことも尤もだ」
「でも」
アルが尚言葉を紡ごうとするが、ルカはそれを遮って、いう。
「大丈夫だって。それに、俺が言い返したところで、どうにもならないだろ?
シストも、悪気があっていった訳じゃないことくらい、俺もわかってるさ」
そういって笑う、ルカ。
アルはそれをみて開きかけた口を噤んだ。
ルカはそれをみて、眼を細める。
「お前みたいに俺の考えてることわかってくれる人間がいりゃあそれで良い」
そういって笑った彼は、もう一度軽くアルの頭を撫でて、いう。
「後は頼む。俺はアンバーたちと今後について話し合ってくるから」
此処は任せたよ。
そういって、彼は笑う。
離れていく背中を見送って、アルは滲みかけた涙を手の甲で拭う。
今は、泣いている場合ではない。
フィアを助けに行きたくとも、ルカの言う通り状況を立て直してからでないと難しい。
「アル、此方へ!」
お願いします、とジェイドの声。
アルはそれを聞いて頷くと、師の方へ駆け寄っていったのだった。
***
ふ、と目が開いた。
一瞬混乱した意識の中で幾度か瞬きをしたシストは、慌てて体を起こす。
ずき、と痛む体に呻きながら、彼は周囲を見渡した。
「草鹿の、病棟……クソ」
寝かされていたのは、医療棟のベッド。
他のベッドには、同じく怪我をしたであろう騎士が寝かされている。
どうやら、手当を終えて此処に放り込まれたらしい。
既にすっかり陽は暮れて、暗くなっている。
大分時間が経ってしまったようだった。
「っく、そ」
そう声を漏らしたシストは、ベッドから降りる。
傍に置いてあった剣を腰に挿し、窓から外に飛び出した。
病室から出て外に行くためにはジェイドの部屋の傍を通らなければならない。
そうでなくとも草鹿の騎士に見つかれば病室追い返されてしまう。
状況がどうなっているかはさっぱりわからないが、病室に寝かされている騎士たちの数を見るに、恐らくまだ救出には行けていないはずだ。
すぐに、向かわなければ。
早く、助けにいかなくては。
その一心で、シストは足元に魔法陣を描く。
空間移動は得意ではない。
しかし短距離の移動であれば、何とか……――
その一心で。
辿り着いた任務の場所。
もう既に魔獣の姿はない。
しかし、そこには、未だ乱闘の痕が残っていた。
荒れた地面。
ところどころに飛び散った血液。
魔獣の骸も幾らか、置き去りになっていて。
ぎり、と唇を噛む。
此処に取り残された仲間は……――
そう思った、その刹那。
すぐ傍で、低い唸り声が聞こえた。
ただでさえ、昼間の戦闘で体力も気力も削られていた。
傷の痛みと焦りで意識が朦朧としていたのもある。
すっかり、油断していた。
そうだ、此処は元々魔獣の群れの中心だった。
今もそうでも、可笑しくはない。
「っは、は……」
乾いた笑いが零れる。
結局、ルカの言った通りだった。
こんな体で、精神状態で来たところで、無意味だった。
このまま、魔獣に食い殺されるのだ。
誰も巻き込まなかったのが、せめてもの救いか。
その所為で、此処で命を落とすことになる訳だけれど……――
そう覚悟を決めた、その時。
シストと魔獣の間に一つ、影が立ちふさがった。
見えたのは、白銀の剣戟。
魔獣の体が切り裂かれ、ばたりと地面に崩れ落ちる。
「だから無茶すんなっていったろ!」
聞こえたのは、そんな声。
眼前に立つのは黒髪に赤い瞳の青年……
「ルカ?」
「ったく、俺が珍しく頭使ってたってのにこれなんだから」
そういって笑う、ルカ。
彼は再び飛びかかってきた魔獣を自身の剣で斬り伏せる。
救出部隊が、来たらしい。
まるで、映画のようなタイミングだ。
茫然とするシストの目の前で、ルカに後ろから飛びかかる魔獣。
はっとして彼が魔力を放とうとした、その刹那。
「後ろががら空きだぞ」
そう声をかけ、ルカに飛びかかった魔獣を切り伏せたのは、他でもない。
亜麻色の髪に蒼の瞳の少年……――
「姫君を助けに来た王子様を気取るには酷い様相だな、シスト」
血と泥に汚れた騎士服のまま、けれど確かに生きている彼はそういって、口角を上げた。
「!フィア……」
勝気に笑う、彼。
ルカは彼と背中合わせに立ち、苦笑まじりに問うた。
「やれやれ、姫君は余裕だったか?」
「いや、そうでもない」
素直にそう認めたフィアは、軽く肩を竦める。
「怪我をした奴もいる、俺の応急手当では限界もあったし、障壁もぎりぎりだったからな」
だから、といい、フィアは自身の魔力でシストを立ちあがらせる。
瞬きを繰り返す彼を見てふっと笑って、いう。
「助けに来てくれて、ありがたかった。
死ぬ訳には、いかなかったからな」
そういって珍しく柔らかく笑む相棒を見て、シストは目を見開く。
そんな彼の様子に、フィアは苦笑した。
「死んでも死にきれん。
お前がそう言う顔をすることは目に見えているのだから」
……そう。
此処でシストたちとはぐれ、一瞬は確かに死を覚悟した。
フィア自身も傷を負っていたし傷を負った騎士も多くいた。
そうした騎士たちを一所に集めて自身の障壁で守ってはいたものの、必然的に魔力は尽きる。
この障壁を破られた時が自分たちの最期だ。
そう覚悟した時、魔獣の意識が他所に向いた。
その先がシストだった、という訳らしい。
「……お前が死ぬことで俺が同じ顔をするかもしれないという可能性は考えてほしいところだがな」
小さく呟いたフィアの声は、シストには聞こえなかった。
え、と顔を上げる彼を軽く小突き、フィアはいった。
「さぁ、さっさと片付けて、帰るぞ」
「無論、皆一緒に、な!」
ルカもそういって、勝気に笑う。
―― 嗚呼、もう。
こいつらには、敵わないなぁ。
そう思いながらシストもへにゃりと笑って、頷いたのだった。
***
「これで、最後だな」
最後の一頭を倒したルカは剣についた血を拭い、ふうと息を吐く。
魔術を使うことができないルカは、他の騎士に比べ、体力の消耗が激しい。
軽く額の汗を拭った彼の傍に立った彼の従弟は、その名を呼ぶ。
「ルカ」
その声に、ルカは視線を向ける。
そして、いつものように笑みを浮かべた後、その頭をぐしゃりと少し乱暴に撫でた。
「お疲れ」
その声に、行動に、珍しく言い返すことをせず、フィアは頷く。
微かな疲労を滲ませながら、彼は言う。
「あぁ。無事、という訳にはいかなかったが……何とか、五体満足だ。
報告は、後でも構わないな?」
「勿論だ、ゆっくり休め」
そういって笑うルカに頷いてから、フィアはシストの方を向く。
彼の体も、ボロボロだ。
そんな状況で助けに来た相棒に"帰るぞ"と声をかける。
しかし、シストは緩く首を振った。
「先に、帰っててくれないか?」
ルカに少し、話があるから。
シストがそういうのを聞いて、フィアはぱちと蒼の目を瞬かせた後、頷いた。
大よその状況を察したのだろう。
「ちゃんと、治療してもらえよ、その傷」
「あぁ、わかった」
また、後で。
そういって別れた後、シストはゆっくりとルカに歩み寄った。
「ルカ」
名を呼べば彼は視線を向けてきた。
叱られる寸前の子供のような顔をしているシストを見て、彼は笑う。
「此処で説教はしないぞ。無茶した分は後でジェイドとアルからの説教だ」
少し冗談めかした声音でそう言う彼。
シストはそれを聞いて首を振った。
「いや、そうじゃなくて」
そこで一度言葉を切って、眼を伏せる。
どうした?と首を傾げるルカを見つめ、シストは震える唇を開いた。
「勝手な行動も、だけど……ごめん、言い過ぎた」
城での、やり取り。
フィアたちを助けに行く行かないでの、揉め事。
その際にはなった言葉が如何に鋭いモノであったかは、シストにもわかっていた。
酷いことを言った、と。
ルカが、フィアをどうでも良いと思うはずがなかった。
だって、さっき。
無事に自分の前に立つフィアの頭を撫でるルカの手は、少し震えているようだったから。
そうだ。
恐ろしいに決まっている。
仲間を、大切な人間を失うことは。
それでも、彼は毅然として立っている他なかったのだ。
部隊長という立場の彼が背負う命は、一つではないのだから。
ごめん、と詫びて俯くシスト。
ルカはそれをみて、苦笑する。
そしてぽんぽん、とその頭を撫でた。
「お前の性格は俺だってよく知ってるよ。
それに、お前がフィアを本気で心配していたこともわかってた。
ああいう状況だ、お前がエルドのことを思いださないはずがない。
お前に気遣う言い方が出来なかった俺も悪い。
だから、謝らなくて良い」
そういって笑ったルカは、軽くシストの背を押す。
「ほら、さっさと帰って治療を受けてこい。
ついでに、ジェイドとアルの説教もな」
病室抜け出した時のジェイドは怖いぞ、といって笑うルカ。
シストはそんな上官の言葉と笑みに少し泣き出しそうな顔で笑った後、頷いたのだった。
―― 想い合う心は ――
(大丈夫、わかっているから。
そういって笑う彼奴は、やはり統率官なのだ)