―― 人は本当に悲しいとき、涙が出ないのだと知った。
かけがえのない相棒。
失いたくなかった存在。
当たり前のように傍にあったはずの存在が消えたのは自分の所為で。
その経験で心の奥深くに刻み込まれた傷は、いつになっても癒えることはない。
癒えたように思えても、ちょっとしたきっかけでその傷を覆う瘡蓋は剥がれ、血を滲ませるのだ。
***
吹き抜ける風に体を震わせる。
いつの間にか、季節は移り変わっていた。
照り付ける陽射しの強さは次第に弱まり、日が暮れるのも早くなった。
朝晩の空気はすっかり冷え込んでいる。
秋は、嫌いではない。
夏に比べれば魔術も発動しやすくなるし、体調管理も楽になる。
けれど……どうしても、この季節は。
頭が痛い。
書類整理の仕事のためにとかけていた眼鏡を外して、そっと息を吐く。
山のように積み重なったそれを引き受けたのは他でもない自分だ。
それが原因、という訳ではない。
冷える風の中を歩いた記憶。
枯れ葉の積もった地面を踏みしめた感触。
それは今も記憶に色濃く刻み込まれたまま。
彼奴がいなくなってから、この季節が巡ってくる度に頭痛が酷くなる。
気を紛らわすために仕事を、と思いはすれど、こんな調子で戦闘系の任務に赴けば、足手まといになりかねない。
そう思って、代わりに書類の仕事をこなし始めたんだ。
書類にペンを走らせる。
こなした任務の報告書。
それに刻まれた、魔獣の特徴などを書き留めていく。
これが、いつか他の仲間の役に立つかもしれない、と。
もう二度と、あんな想いをするのはごめんだ。
大切な仲間を失うのは、もう二度と……――
「……すと、シスト?」
声をかけられていることに気が付くまでに少し時間がかかった。
顔を上げれば、少し心配そうな表情で自分を覗き込んでいる"今の"相棒と目が合って。
あぁ、ぼうっとしていた。
ごめん、と詫びてから、俺はあいつに問いかけた。
「フィア、どうした、任務か?」
彼奴が俺の部屋に訪ねてくるのは、珍しい。
朝礼の時には任務もないといわれていたが、急に依頼があったのかもしれない。
そう思って問えば、彼は首を振る。
「いや、ルカに聞いたら部屋に籠って仕事している、っていうから」
手伝いに来たんだとフィアは言う。
それから彼奴は溜息を吐いて、俺の額に触れてきた。
俺よりも体温の低い彼奴の手は冷たくて、思わず目をつぶる。
「熱は、ないみたいだが……大丈夫か?」
顔色がよくない、と彼は言う。
普段通りの冷静な表情は、ともすれば怒っているようにも見えるかもしれない。
しかし大分付き合いの長くなってきた今ならば、それが心配の表情なのだということも良くわかって。
「大丈夫だよ」
そう返すと、フィアは一層眉を寄せた。
そして、そのままフィアは彼の額を強く小突いた。
「無理をするな。アルに薬をもらってくるか?」
というか、診てもらった方が良いんじゃないか。
そうフィアは言う。
俺は笑いながら、そんな彼に応じる。」
「平気だって。フィアは心配性だな」
「……お前ほどじゃない」
そう返されて、俺は思わず、噴き出した。
……確かに、俺の方が心配性かもしれない。
はじめてフィアと任務に行った時の経験の所為で心配になるのは至極当然だと思うけどな。
それは、そうとして。
俺は肩を竦めて、彼奴に応えた。
「大丈夫ってのは本当だ。
少し、色々思いだして頭痛かっただけだから」
「色々……あぁ」
フィアは青の目を伏せる。
何か察したような表情で黙りこんだ彼を見るに、どうやら俺の不調の理由も、想定がついたらしい。
彼奴も、ルカから聞いたのか。
彼が……エルドが死んだのは、秋だったってこと。
どうしても、この時期になるとあの時のことを思いだしてしまう。
彼の最期を、一緒に過ごした時間を思いだしてしまう。
ただそれだけだから大丈夫だ。
そう俺は、フィアに返す。
そうか、と答えた彼は一度俺から眼を逸らす。
ああ見えて優しい彼奴のことだ。
俺にかける言葉に、悩んでいるのだろう。
別に何も言わなくたって良い。
そう俺がいおうとした、その時。
「……なぁシスト」
フィアは、俺を呼んだ。
先程とは違う強い光を灯した、瞳。
それで俺を見つめながら、問うてきた。
「エルドさんと過ごした時間は、楽しかったか?」
そんな問いかけ。
俺は思わず言葉を失って。
「……辛い記憶なのは、わかる。
でも、彼と過ごした時間全てが、そうではないだろう」
そういうフィアの声も、微かに震えていた。
ああそうだ。
彼奴も、大切な人を失くしている。
だからこそ、きっと俺の気持ちもわかるのだろう。
その辛い日の記憶を思いだすことも。
それ以前の、優しい想い出を頭に巡らせる時の感情も。
だからきっと、俺にそんな問いかけをしてきたんだろう。
俺が、悲しんでばかりだから。
嗚呼いつも、励まされてばかりだなぁ。
そう思いながら俺はフィアの方を見て、笑う。
答えはイエスしか思い浮かばなかった。
―― Memory ――
(彼奴との最後の記憶は当然、悲しみの記憶だけれど。
それで全ての記憶を塗りつぶしてしまうのは、あまりに悲しいから)
(フィアは、俺にそう問いかけてくれたのだろう。
楽しかった頃のことを思いだせ、という想いを込めて)