落ち葉の散った地面を踏みながら、長い黒髪の少年はそっと息を吐く。
そろそろ、警察署に帰るか。
そうひとりごちて、辺りを見渡す。
警官である彼、カロルはいつも通りの街の巡回中。
いつも通り、街は平和だ。
それでもこうして街中を歩き回るのは、犯罪の抑止のためでもある。
それを苦に思うことはないのだが、夏場のこの仕事はなかなか辛かった。
カロルは氷属性の魔術を使う人間。
暑さには滅法弱い。
それを知っている上官が気を使ってくれたこともあるが、それは流石に申し訳ないと巡回に行き、途中でダウンしたこともある。
そんな彼にとっては、大分過ごしやすい季節になり、一安心である。
空気に満ちる秋の色が濃厚になってきた。
空に散らばる雲は真夏のように塊になることもなく、薄い魚の鱗のようになっている。
朝晩の風は冷たいほどで、身に付けている制服も夏物から冬物に変えている者も多い。
自分もそろそろ冬物の用意をしなければ、そう思いながらカロルは警察署に向かって歩いていったのだった。
***
警察署に帰りつき、オフィスに入ろうとドアを開ける。
それと同時に、派手な破裂音が響き渡った。
それを聞いたカロルは発砲音かと、思わず身を屈めた。
腰にさげている拳銃に手を伸ばしかければ、"ちょっとストップ!"と慌てた声が響く。
「違う、カロル、違うから!」
大丈夫だから!
そう聞こえた声に、身体を起こす。
焦った声をあげたのは、騎馬隊に所属する仲間、リトで。
はぁと息を吐く彼の額を小突いて、ヘルガが呆れたように言う。
「だからクラッカーはやめておいた方が、っていったんだ」
「だって、俺はこういう派手なの、好きなんだもん」
子供のように唇を尖らせるリト。
それを窘めるヘルガを見て、ライシスがくすくすと笑う。
「確かに。こうした派手なのはお嫌いですかね、貴方は」
そう声をかけられて、カロルは眉を寄せる。
「一体何の話だ」
「君の誕生日祝いだよ、カロル」
そう聞こえたのは、カロルの上官の声。
穏やかに微笑む彼……ウィローサが言った。
「今日は君の誕生日だろう。同僚で祝いたいから、と彼らがこうして押しかけてきてね」
そう言われて、カロルは瞬きをする。
そして、少し困ったように笑った。
「そうか、そんな日、だったな」
「そんな日だったな、って!」
もう、とリトは唇を尖らせる。
カロルは軽く頬を掻いて、ありがとう、と礼を言ったのだった。
***
折角の誕生日なのだから、とカロルは仕事を早く切り上げて家に戻ることにした。
道中、そっと息をはKう。
本当に、今日が誕生日であることを仲間達に言われるまで、知らなかったのだ。
と、いうのも……
「祝って、貰った記憶がないから、か」
誕生日が特別なものであるという知識暗い葉会った。
しかしそれはあくまでも、兄の誕生日を両親と共に祝っていたから。
自分の誕生日を似たように祝われた記憶は、薄い。
兄が死んでからは、一層……
そう思っていれば、ちょうど家にたどり着いていた。
部屋二は明かりが点っている。
恋人である青年……荒錵は家にいるらしい。
誰もいない家に帰るよりずっと、良い。
そう思いながら、カロルは家のドアを開けた。
「お帰り。思ったより早かったな」
クラッカーの破裂音ではなく、優しい声と笑顔を向けられる。
カロルは彼の言葉に頷いて、はにかんだ笑みを浮かべる。
「あぁ、少し早く、帰ってこられた」
そう答える彼を見て、荒錵は微笑みながら頷いた。
「お帰り、それと……」
そこで一度言葉を切った彼はカロルに歩み寄ってきた。
不思議そうな顔をする彼の頭にぽん、と手を置いて、言う。
「誕生日おめでとう。
君が生まれてきてくれた日に感謝と祝福を」
かけられたのは、そんな言葉。
カロルが大きく目を見開くのを見つめ、荒錵は言葉を続けた。
「……さて、今日は晩ご飯のあとにお祝いのケーキでも一緒に食べよう。
晩ご飯も君が好きなものを用意してやるからな」
何が食べたい?
そう問われ、答えようとカロルは口を開く。
しかし言葉より先にこぼれたのは、涙だった。
そんな彼を見て、荒錵は目を丸くする。
しかしすぐに苦笑をうかべて、ポンポンとカロルの頭を撫でてやった。
「泣かれるとは思わなかったな」
驚くだろうなとは思ったけれど。
そう言いながら、荒錵はカロルの目元を拭ってやる。
今朝の彼の様子を見て、これは誕生日だということを忘れているな、と思った。
その理由も、荒錵には理解出来ている。
だから、精一杯祝ってやろうとそう思って、今日は早くから準備をして、彼の帰りを待っていたのだ。
まさか泣かれるとは、と笑う荒錵を見て、涙を拭いながらカロルは言った。
「だって、今までそうして、祝ってもらったことはあまりなかったから……
いや、警察の仲間には祝ってもらったが、その時はここまで嬉しくはなくて……」
仲間たちの祝いの言葉も、嬉しかったには嬉しかったが、どちらかというと戸惑いの方が大きかった。
しかし今の、荒錵からの言葉は、本当に心から嬉しくて、切なくすらあって。
……それはきっと、幼い頃から、"家族からの祝福"に憧れていたからなのだろう、とカロルは思う。
荒錵は訥々とそう語る彼を見て、目を細める。
そして優しくカロルを撫でて、言った。
「そうか。じゃあ来年も再来年も、ずっと誕生日を祝おうな。
今から来年のプレゼントはなにがいいか、考えておくんだぞ」
そう言って笑いかければ、涙に潤んだままの瞳で見つめられる。
カロルは、緩く首を傾げる荒錵を見つめ、ぽつりとこぼした。
「……親みたいだ」
「僕が?」
思わぬ言葉に荒錵は目を丸くする。
それから、ふっと苦笑して、言った。
「僕まだ28なんだけどなあ。父親、ってのはさすがにないんじゃないか?」
せめて兄じゃないか、と笑って言う荒錵。
カロルは迷うように視線を揺らしてから、言った。
「否、貴方が老けているとか、そう言うのではなく、貴方は無論、恋人ではあるんだが……
でも、それでも、貴方は俺にとって、兄のようであり父のようであるというか……家族、だと思いたいというか」
口が下手な彼なりに一生懸命、そう説明する。
荒錵はそれを聞いて、緩く目を細めた。
そして言う。
「僕も決して“とうさん”と良い思い出があるとは言い難いからな……
それでも、ずっと一緒にいたい、大切に思い合う気持ちが“家族”なら、君とはきっとそういう関係なんだろうな」
父親のようだ、というのは言い得て妙なのかもしれない。
自分やカロルが知る"父親"とは違う、いうなればそう、"こうあってほしかった"という理想の形をなぞっているようなものなのだから。
カロルがそれを喜んでくれているのなら、それが一番だ。
荒錵はそう思いながら、少し声を明るくして、カロルに言った。
「ほら、そろそろ泣き止んで、一緒に夕飯にしよう」
何が食べたいかを教えてくれ、と荒錵は言う。
カロルはその言葉に笑みをうかべて、頷いたのだった。
―― 思い描いた… ――
(幸福な、誕生日。
その記憶は、遥か彼方の、自分の手は届かないものだと思っていた)
(君が喜ぶ顔を見ることが出来て良かった。
そう想うのはきっと、……)