ずっと、ずっと、嫌いだった。
僕よりずっと大きいのにその体を縮こまらせて、身を竦めて生きている姿が。
強い強い力を持っているのに、それを使うことに怯える姿が。
たくましい翼も美しい角も、僕にはないものなのに、それは誇って良いはずなのに、恐れて、怯えて、それを隠す姿が。
何より……――
***
任務帰り。
すっかり暗くなった通りを抜けて、城に戻る。
他の騎士たちはきっととっくに城に戻って、自室で休んでいることだろう。
イリュジアの騎士団と違って、ミラジェリオの騎士団は小さい。
所属している騎士もそこまで大きくなく、部隊が分かれているということもない。
適正のあるものが適正のある任務に回されるというシステム柄、僕は夜間の任務に赴くことが多かった。
正直少しコンプレックスの小さな体と幼い容貌。
それを活かして、潜入捜査や囮捜査を行う。
それが、主な僕の仕事だ。
そんな危険な仕事の仕方はしなくて良いんだよ、と主人……アズル様は眉を下げていたけれど、僕にはそれ以外役に立つ方法が思いつかないから、仕方ない。
決して弱い訳ではない。
けれど。
イオのように器用に魔術を使うことはできない。
アルマのように剣を扱うことも出来ない。
レキのような力もない。
そんな僕が大好きなこの国の、アズル様のために出来ることと言ったら、これくらいしかない。
……僕だって。
出来ることならば、もっと違う形でも役に立ちたかった。
そんな思考に沈みかけた頭をぶんぶんと振る。
落ち込んだ顔をしていたら、優しい主人を心配させてしまう。
そう思いながらぱんぱんと自分の頬を叩いて、歩みを速める。
今日は早く帰ってこられた方だ。
連日夜間の任務で流石に少し疲れてきたし、今日は早く休もう。
きっと、疲れの所為でこんな沈んだ思考になるんだ。
そんなことを思って、歩いていたら。
「……あ」
前方から歩いてきたのは、長い緑髪の同僚。
相変わらず伸ばした前髪で一方の瞳を覆い隠している彼……レキは僕の姿を見ると鮮やかな紅色の瞳を大きく見開いた。
まいったなぁ、と思う。
何でこんなタイミングで、彼に会ってしまうんだろう。
「こんな時間まで何ぶらぶらしてんの、今日君休みだったでしょ」
ほら。
また、こんなかわいげもないことを言ってしまう。
唇を閉じてから、思わず眉を寄せてしまった。
僕は社交的な方ではないけれど、他の人間相手ならもう少し上手くやれる。
僕がこんな物言いをしてしまうのは、主にいま眼前に居る彼……レキに対してだけだ。
つっけんどんな僕の反応はいつものことで、レキは苦笑いを浮かべつつ、言った。
「いや、ちょっと喉が渇いてさ」
ちょっと部屋を出てきちゃってさ、とレキは言う。
少し言い訳じみたそれに僕は思わず眉を寄せて、言葉を紡いだ。
「部屋でも水くらい飲めるじゃん」
本当はわかっている。
……彼が、僕の帰りが遅いのを気にして、様子を見に来てくれたこと。
なのに紡がれる言葉は感謝や謝罪なんて柔らかいものではなくて、冷たい言葉ばかりだ。
少し決まり悪そうに視線を泳がせたレキは小さく咳ばらいをして、首を傾げた。
「ルガルは今帰り?」
「それ以外にどう見えんの」
「そうだよな、ごめん」
当たり前のこと聞いちゃったな、と苦笑いするレキ。
彼が申し訳なさそうな顔をする理由は、欠片ほどもない。
寧ろ八つ当たりされていることに怒って良い立場だ。
それなのに、彼奴はすまなそうに笑うんだ。
……本当に、いらいらする。
怒れば良いのに。
唇を噛んだ。
深々溜息を吐いて、僕は言う。
「……もういい?僕行くよ」
これ以上彼と顔を合わせて居たら一層酷いことを言ってしまいそうな気がして。
僕は彼の横をすり抜けて自室に戻ろうとした。
彼は僕がこんな態度を取っても、変わらず僕に接してくる。
だから、いつものように逃げようとしたんだ。
でも。
「っ……」
視界がぐるりと、回った。
浮遊感のような落下感のような、気持ち悪い感覚。
倒れる、そう思った時。
「ルガル!?」
驚いた声を上げた彼が、僕を抱きとめていた。
すぐに意識ははっきりした。
軽い、眩暈だった。
でも、レキは酷く心配そうな顔をして、僕の額に触れる。
「だ、大丈夫か?熱は、ないみたいだけど……」
長い前髪の向こう側の瞳がちらちらと、色を変える。
心配しているのが、動揺しているのが、見て取れた。
「疲れてるんじゃないか、明日カルセ様が城を訪ねてくるって言ってたし診ていただいたら……」
「……うるさいなぁ」
ぐいと、彼の手を押しのける。
そして僕より背が高い彼を睨みつけながら、強い口調で僕は言った。
「ちょっとふらついただけだって。僕だって騎士だ、ちゃんと鍛えてるんだから平気に決まってるでしょ」
僕がそういうのを聞いて、レキはぱちりと瞬いた。
そして、またすまなそうに眉を下げる。
「ごめん、余計なおせっかいだったよな」
また、彼は謝る。
彼は悪くないのに。
ただ、僕を心配してくれただけなのに。
"俺はいつも言葉を間違えてお前を怒らせちゃうな"と、彼はすまなそうに言うのだ。
「……ほんと、君のこと嫌い」
口を衝いて出るのはそんな暴言。
……違う。
本当は、本当に嫌いなのは。
―― 勝手に持った罪悪感の所為で君に冷たく当たる自分自身だ。
思い出すのは、"あの時"のこと。
アズル様が襲われ、その容疑がレキにかけられたときのこと。
僕は、君がやったんじゃないのかと彼に言った。
勿論本心ではなかったし、否定してほしい一心で言ったことは誓って本当だ。
でも、そんなのは理由にならない。
ただでさえ憔悴していた彼を追い詰めて、冷たい地下牢に閉じ込める結果に追い込んだのは他でもない、この僕だ。
……彼は、その時のことを覚えていない。
一度、彼は竜の力を持っているという記憶自体を封じられたから。
その封印自体は解けて、今は自分が竜の力を使えることも理解はしている彼だけど、僕があの時彼にかけた冷たい言葉は忘れたままだ。
でも。
忘れているからと言って、なかったことにはならない。
それは、僕が一番良くわかっている。
罪悪感。
後悔。
本当はもっと優しくしたい、仲良くなりたい。
恰好良いと思っていたことも、強いと思っていたこともずっとずっと伝えたいと思っていた。
そう思うのに、顔を合わせる度に、冷たい言葉を吐いてしまうのは、きっと。
彼に怒ってほしいんだ。
いっそ、嫌ってほしいんだ。
あの時、僕がしたことを赦してほしくないんだ。
それだけ、僕は彼をあの時傷つけてしまったのだから。
……そのことを彼は憶えていないのに。
僕の勝手で愚かな我儘だ。
その所為で、ほら。
僕はまた、彼を傷つけた。
一瞬悲しそうに歪んだ顔を伏せて、彼は言う。
「……そっか」
少し掠れた、声。
傷ついたことを必死に隠した、彼の声。
それを聞いて僕は唇を噛み、そっぽを向く。
嫌ってよ。
怒ってよ。
そう思うのに。
「でも俺は、お前のこと嫌いじゃないよ、ルガル」
……何で、そうなるのかな。
彼は困ったように微笑んで、言うんだ。
そして、少し躊躇いながら僕の頭を撫でた。
「おやすみ」
そう言ったレキは、自分の部屋に戻っていく。
水を飲みにきたんじゃなかったのかとか、いきなり何気持ち悪いこと言うんだとか、そんな天邪鬼な言葉を飲み込んで。
「……おやすみ」
やっと紡げた棘のない言葉は、彼に聴こえていただろうか。
―― 厭っているのは… ――
(本当は君のこと、嫌ってないんだ。
なのに、どうして僕はこうも冷たい棘しか君に向けられないんだろう)