「与えられたものは」「暴かれたものは…」の裏での麗花とフィアの話です。
麗花には実はもう一つ設定があるのでそのさわりとしての小説でもあります。
「暴かれたものは…」で麗花が倫の元へ駆けつける少し前のお話と思ってください。
絡みはフィアとだけになりました。
男性陣でも良かったのですが私の心の中の倫兄さんがNGをだしたので…(?)
とりあえずこの兄妹はなんとか幸せになって欲しいものです。
ともあれ追記からお話です。
今日は少し帰りが遅くなってしまった。
すっかり静かになった城に入りながら、フィアはそっと溜息を吐き出す。
この時期は流石に冷えるな、と思いながら廊下の窓から空を見上げれば、月のない夜空に無数の星が煌めいている。
冷たい空気は苦手だという騎士も多いが、氷属性魔術使いであるフィアにとっては心地よいものですらある。
しかし、しんと静まり返った城というのは少し……物寂しいな、とは思うのだった。
「ん……」
部隊長(ルカ)への報告は明日にするか、と考えつつ歩いていたフィアの目に止まったのは一つの影。
食堂横の通路にぼうっと立っている、白銀の少女の姿だった。
「……麗花様?」
訝しげに、名を呼ぶ。
こんな場所にいるはずがないのだ、彼女は。
少し前から城に滞在し始めた、異国の少女。
正式に言えば少女というのも少し違う……どちらかと言えば以前戦ったことのある、実兄が作り出した操り人形に似た、キョンシーという異形であるという話なのだが、一見すればそれは美しい少女でしかない。
陽の光を浴びられないとかで部屋の奥にいることが多く、フィアが姿を見るのはもっぱら兄である倫が連れ歩いている時だけだった。
だからこそ、違和感があった。
今彼女は、一人で外を見つめているのである。
彼女らの国でももはや蛮行とされていた纏足という悪しき文化で潰された足では満足に立つこともできなかったという彼女は魔術でほんの少し浮いてはいるが、一人で立っている。
一体なぜ?
フィアはそう思いながら声をかけたのであった。
名を呼ばれ、麗花は顔を上げた。
普段は閉じられたままの瞳が、フィアを捉える。
額にあるキョンシーの証とも言える札で隠れていてもなお愛らしいと言える顔立ちの少女。
硝子眼球(グラス・アイ)というにはあまりに人間じみた美しい二色の瞳でフィアを見つめながら、彼女は口を開いた。
「誰?」
そう言葉を紡ぐ彼女にフィアはまた驚いて蒼の目を見開いた。
それからふ、と表情を綻ばせて、言う。
「初めて、貴女の声を聞きましたね」
何度か倫が彼女と散歩をしている姿は見たが、声を聞く機会はこれまでなかった。
基本的にはあまり話さないんだよー、子どもみたいで可愛い話し方なんだよー、と言っていたのは彼の兄である。
想像したよりずっと流暢な言葉で、彼女は言った。
「初めまして、騎士様。いつもお世話になっています」
「ああ、初めまして。……何をしていらっしゃるのですか」
フィアは彼女に問いかける。
彼女は視線を外に向け直しながら、いった。
「兄を、待っているのです」
「倫を?」
倫が夜に出かけることは、フィアも良く知っていた。
……彼がこの国に来た目的も、それが今眼前にいる彼女に大きく関係していることも、聞いていた。
どうしてやったらいいんだろうな、と困ったような顔をしていた自分の従兄の姿を思い出す。
そんな彼を彼女は待っているのか。
その問いかけに麗花は頷く。
「出かけて行った兄様を待っているのです」
紡がれる柔い声。
そこには不安げな色が灯っていた。
まるで、戦場に向かった家族を待つような、不安が。
「そうなのですね。すぐ、戻るのではないでしょうか」
普段出かけていく彼はすぐに戻ってくる。
あまり麗花(いもうと)を一人にしたくないのだと彼は言っていた。
……かつて、彼女を一人残していた時に起きた悲劇が忘れられないためだろうと痛ましげに呟いていたのは医療部隊長だったか。
すぐ戻るのではないか、と言う言葉に麗花は頷く。
それはよくわかっているのです、と彼女は言った。
「……兄様」
呟く彼女は何かを祈っているようだった。
微かに、その白磁の手が震えている。
フィアはそれを見ると、少し迷いながら声をかけた。
「でも、ここは冷えます。部屋で待っていた方が」
そう言いながら、フィアは上着を麗花にかけようとした。
彼女が寒さを感じるのかはわからなかったが、女性がこのような時間に一人で佇んでいるのを見て見ぬふりはできない。
……その刹那。
「っ、……」
はっと、麗花が大きく息を呑んだ。
大きく見開かれた二色の瞳が、揺れる。
「麗花様?」
「……嗚呼」
息が漏れるような声だった。
ーー 知ってしまったのですね。
彼女は確かに、そう呟いていた。
震えた声。
驚き、目を見開くフィアの前で、彼女は空を見上げながら、言葉を紡いだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
それは懺悔の言葉だった。
長い袖に覆われた手を空に伸ばしながら、彼女は言う。
「私が弱かったから、意気地なしだったから……嗚呼、兄様」
震える声。
見開かれた瞳から涙が溢れることこそなかったけれど、その声はあまりに悲痛で。
胸が張り裂けるような悲しみを滲ませた声で彼女は呟く。
ごめんなさい兄様、と。
「麗花様、何を……」
一体何が起きたのか。
まるで自分には感知できない何かを感じ取ったかのような彼女の行動にフィアは困惑していた。
普通ではない。
何が起きたのか。
そう問いかけようとしたフィアの目の前で、ふらりと麗花の体が傾いだ。
「っ、麗花様?」
糸の切れた操り人形のように倒れかけた彼女を慌てて抱き止める。
ひやりとした手触りに、一瞬身がすくむ。
そうだ、彼女は人ではないのだ、と今更のように感じた。
しかししっかりとその体を支え、名を呼ぶ。
彼女は目を閉じていた。
眠った?
意識をなくした?
どちらも、異形である彼女には当てはまらない気がして、フィアは一層困惑する。
どうしたものか。
倫になんとか連絡がつかないか。
せめて、彼らの事情を詳しく知っている者を呼ぶべきか。
そう思った、その時。
すっと、彼女の体が動いた。
目は閉じたまま、彼女は体を起こし、呟く。
「いかなくては」
それは酷く無機質な声だった。
先程までの彼女の声や雰囲気とは異なる。
よく似た別人のような……否、こちらの雰囲気の方が、見慣れた彼女の雰囲気なのだけれど。
そうだ、先ほどの彼女の方が、いつもと違っていた。
まるで……そう、普通の人間のような、あの雰囲気が、いつもの彼女と違っていた。
では、先刻の彼女は、一体……?
「……にいさま」
困惑して硬直するフィアを気にかけるでもなく、麗花が幼い子供のような声で呟くと同時。
「う、わ……っ?!」
魔力を放出したのか、強い魔力でぶわりと風が巻き起こる。
次の瞬間、麗花の姿は消えていた。
彼女にかけてやろうとしていた上着だけが、床に落ちている。
「な……」
一体、なんだったのか。
自分は夢でも見ていたのか。
そう思いながら瞬くフィア。
吹き抜ける夜の風が、彼女の亜麻色の髪を揺らした。
「フィア?どうした?」
呆然と立ち尽くすフィアに声をかけてきたのはフィアの帰りに気づいたらしい部隊長だった。
「いや、いま麗花様が……」
そう言葉を紡ぐも、何が起きたのがの説明が到底できない。
不思議そうな顔をしているルカを見ることもできず、フィアは先刻まで翡翠の少女がいたその場所を見つめていたのだった。
悲しげな、彼女の謝罪の言葉を思い出しながら。
ーー 翡翠の少女の悲嘆 ーー
(兄様、兄様、私のただ一人の、かけがえのない家族)
(ごめんなさい、でもどうか、わたしにあなたをまもらせて)