2009-11-30 02:36
最近、言葉の表現力の無さを痛感している私です。
久しぶりにばななさんの小説でも読もうかしら。
私の文章の表現には、ばななさんとイトイさんが深く影響していると思われます。
ばななさんの恋愛観は、素敵です。
ふ、あたしったら、オトメン…。
あー、頭いたい。脳卒中はイヤ。
2009-11-30 00:13
分かっていく、理解していく。
それは、人が生きていく為に通過していかなくてはならない、悲劇。
何も知らなければ、どれだけ幸せだろう。
誰かを愛する、人を好きになる。
それは悩みの種。苦しみの始まり。
恋愛がこの世から無くなれば、純粋に人間を見ることができるのに。
とか言ってみた。嘘じゃないよ。悲しいことに、どんなことも逆説的に考えることができるんです。
だからこそ、どうせ考えるなら、前向きに考えたい。
でも、前向きに疑問を感じたら、たまには客観性を取り入れてみてもいいかもしれません。
でも客観に頼ってはだめだよ。たかが客観、くらいが丁度いいかな。いや、どうだろう。わからない。
読んでくれてありがとうございます。
進歩のない、私の思考。お先にどうぞ。
2009-11-27 09:41
福祉は、精神論では語れないみたいです。
なんだか悲しくなりました。
福祉は、私が思ってたよりも、ずっと先進的で、現代的な考え方だったんです。
別に現代的なものが嫌いな訳ではないし、過去に特別な興味があるわけでもないですが、…なんていうか、人間同士の関わりが構造化されて、体系化されるのが、とても嫌みたいなんです、私。
もちろん、プロってそういうものだと思うんです。カネもらってんだから、専門化されてるんだから、そこには何かしらの決まりみたいなものがあって当然なんです。
…そこに疑問を抱いてしまう私は、やっぱり相談援助職には向いていないのかもしれません。
きっと働いたら働いたで、新しいこと、沢山みつかるのも分かるんです。今考えてたことだって、どうせ変わって、馴染んでいくんです。
…これが私の長所であり、最大の短所かもしれません。
読んでくれて、ありがとう。
短所は長所だよ。
2009-11-24 02:38
むやみやたらに、信用されるのは、きっと気分が悪いだろうな。信じてたのに!って言われれば、言われた方は一方的に加害者です。誰が信じろと言った!とキレたくなりますね。これは逆ギレではありません。だからやっぱり、本当に信じられる人なのか考えることにしたほうがいいのかもしれないと、最近、思い始めました。
別に僕を信用してくれないからその人が悪い人な訳ではないし、疑うことで結果としてその人がラクになることがあるのなら、それもまた正しいのかな。
というか正しい以前に、そっちの方が人間らしいです。多分。
そして、それでも僕が信じたい人には、たまには迷惑をかけてしまうかもしれないけど、それでもせめて、信じることだけは許してもらえると、嬉しいのですが。どうでしょうか。
責任はもちろん、僕がとりますよ。信じることの重みってやつです。それをもっとちゃんと感じれる人間に、なってやろうと思います。
読んでくれてありがとう。
どこまでもわがままでごめんなさい。