[狐と少年・別れ]
商店街に戻ってきて、狐は少年を背から下ろす。
少年は呆然としたまま「本当に到着できるとは…」と呟いていた。
「れんじ。どのような鍛え方をすれば、あのように飛んだり走ったりできるのだ?」
鍛えたわけではなく生まれつきだ。
とはさすがに答えられなかった蓮二は、
「山での修行の成果だ」
適当に答えておくことにした。
先ほど訪れたお面屋の前に二人は立っている。
この先は人ごみ。
「お前はここで待っていろ」
「なんだと?」
「俺がお前のおじいさまを連れてくる。その方が都合がいい」
「…ここで、じっとしていればいいんだな」
「そうだ。目印となる場所のそばにいれば、俺もお前のおじいさまも行きやすくなる」
少年は蓮二の、白いお面の奥を見ていた。
蓮二も、少年をまっすぐと見つめていた。
「わかった。待っている。れんじも、おじいさまも」
少年が納得したのを見て、蓮二はお面の奥で微笑む。
「また、な。げんいちろう」
そして狐は、少年の前から去っていった。
「弦一郎!」
親切なお面屋にパイプ椅子を貸してもらってボンヤリと座っていた少年は、聞き覚えのある声で我に帰る。
「おじいさま!」
「よかったよかった。いやぁ、すまんかったな、目を離してしまって」
「いや、俺が勝手に行ったから…」
「何にせよ、無事で何より。怪我もしてないようだしな」
怪我…してない?
言われた少年は下を向く。
擦り剥いたはずの膝小僧が、綺麗になっていた。
巻き付けられた袖の切れ端も、傷そのものも。
「どうして?」
「あ、そういえば弦一郎の場所を教えてくれた男の子が…これをお前にやる、と」
「これは…!」
祖父から渡されたのは、まぎれもなく、自分を助けてくれた奴の物だった。
あいつは帰ってこない。
少年は悟った。
――これから用事があるので帰ります。げんいちろうくんによろしくお伝えください。
その言葉と物だけ残して、消えるようにいなくなったという。
・
・
・
「隣、座ってもいいかな」
「あっ…いいぞ」
少年、真田弦一郎は成長した。
幼なじみとの約束を胸に、立海大学附属中学校へ入学した。
今日はその入学式。今は担任の先生が来るのを教室で待っている。
その幼なじみとは違うクラスになってしまったが、またすぐに会える。問題無い。
「きみは…さなだげんいちろう、で合ってるかな」
名前を呼ばれて、改めて隣を見た。
そこには、肩までの長さの黒髪と、閉じられた目。
髪が長くて綺麗な顔なので最初は女子かと思っていたが、同じ制服なので誤解はすぐに解けた。
前が見えているのだろうか?と思いながら、真田は目の前の男子生徒を見る。
「合っているが、きみは?」
「俺は…」
閉じられた目が、数ミリだけ目が開いた。
この目と、この長い黒髪。
真田の目も大きく開いた。
「やなぎれんじ、という。これからよろしく頼む」
その少年は、どこか面白そうに、嬉しそうに微笑んでいた。
黒いおかっぱの少年の名は、柳蓮二。
入学式の出会いからすぐに意気投合して、やがて真田の家へ遊びに行くようになった。
「弦一郎の家はずいぶんと大きいのだな」
「昔からよく言われるが…幸村の家の方がなかなかすごいぞ。蓮二も行ってみるといい」
「ああ、そうさせてもらう」
興味深そうに眺めて歩き、真田弦一郎の部屋に着く。
「今日は碁を打つのだったな。持ってくるから、少し待っていてくれ」
真田は部屋を出て碁盤を探しに行った。
柳はその間に部屋を軽く見まわす。
整理整頓された和室。主の好みなのか、木彫りの熊が置かれている。
その一角で、柳は見つけた。
「待たせたな。ついでにお茶も…何を見ているのだ、蓮二」
柳はそこから目を離せなかった。
信じられない、といった面持ちだった。
特撮物らしきお面、白黒二つ。
床の間に、大事そうに置かれていた。
「ああ、これか?これは…」
「真剣戦隊ブシレンジャー」
柳はすぐに答えを述べた。
「その通りだ!お前も見ていたのか?」
「あ、ああ…勧められて、な」
「見ていたのか!そうか、そうか」
珍しく歯切れの悪い友人に気づかないまま、嬉しそうに真田は何度も頷いた。
「これはな、俺の大切なもので、目標でもあるのだ」
「意外だな」
「…やはり似合わないか?」
「いや、そういうわけでは。続けてくれ」
「うむ!」
真田は喜んで語った。
ひと夏の思い出を。
子供とは思えぬ跳躍力と脚力で自分を運んでいった、白いお面の少年のことを。
それから真田も山に入って修行に励んだのだが、あの時の少年には未だに及ばないということも。
「だが、いつか必ず追い越してみせる。そして、今度こそ助けてくれた礼を言うつもりなのだ」
まっすぐな目を柳に向け、拳を強く握り締めた。
「おっと、話が長くなったな。始めるとするか」
「別に、構わない……ありがとう」
「む?どういたしまして」
打ち始めた二人は、無言になる。
数分後、真田が唸り始めた。
柳は顔を俯けて、密かに笑っている。
――まだあれを持っていたとはな。
狐はいつまでも見守ることにした。
自分にも他人にも厳しくて、まっすぐで優しい少年を。
稲荷神から人間と成った蓮二には、昔ほどの力はもう出せない。
弦一郎と同じ時を過ごせる代わりに、見た目の年相応の身体能力になってしまった。寿命も残り100年ともたないだろう。
それでもいいと蓮二は思う。
人は鍛えて伸ばすことができる。同じ部活で一緒にレギュラーを目指せる。弦一郎たちが目指している全国制覇とやらも。
「……待った!」
「待ったは無しだぞ、弦一郎」
「むむ…」
「人生も囲碁も、待ったはできないものだろう?」
「まったく、ずいぶんと楽しそうに打ちおって」
いい余生だな、と狐は笑った。
おわり
・・・・
最終話、2つにわけてもいいくらいに長くなりました^^;
中学生になってからが二人の本番ですね。
テニスは狐の頃からやっていた蓮二。あくと兄さんに教わって、人に化けてテニスを習いにいくことに。貞治(狸)ともそこで出会ってます。
あくと兄さんから弦一郎もテニスをしていることを聞いた蓮二は、人間として近くの小学校に編入して、テニスの強豪校である立海大附属中を目指すことに。弦一郎がどこに入学するかはわかってなかったので、偶然同じ中学校に入って同じクラスになれたときは神にめちゃくちゃ感謝したそうな。自分も(元)神なのに。
あくと兄さんとの再会は修羅場になりそうですね。「お前にいろいろ教えて世話してあげたのは誰だったかな?」みたいな。
真田はあの時の子供の身体能力ばかり語ってますが、彼が目標としているのはそこだけではなく、何の見返りも要求せずに自分を助けてくれたところです。
蓮二は自分か弦一郎が死ぬまで正体を明かさないつもりですが、弦一郎は「似ているような…」と思ってます。そのうち気づきそうですね。
ここまでの閲覧、ありがとうございました!!
蓮華が良い人生と余生を過ごせますように。