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どうせ最後は灰になるのだから


流れるように1日が過ぎていく。
1週間ほど前に、愛犬の喉に腫瘍が見つかって、昨日手術をした。無事に手術自体は終わったけれど、良い結果ではなかった。獣医さんには「発見は早い方だった」とも「誰かが悪いわけじゃないから」とも、言って頂けたけど、「あの時こうしてたら」とか「もっと早く気付いてあげれたら」とかそんな事ばかりが浮かんでしまう。
病理検査の結果は出ていないけど、十中八九、悪性腫瘍のようで、この1週間での成長速度を見ると、結果を待たずして抗がん剤治療をした方が良いとの事だった。

勿論、腫瘍が発見された時点で、最悪の最悪を考えてはいたけれど、いざ目の前にそれがぽんっと差し出されると、人間ってこうも無力で役立たなくて弱いんだと思い知った。治療は当然するし、そこに対しての犠牲は厭わないけれど、愛犬が辛い事が辛い。
場所が場所だけに全摘出ができなかったことや、残った細胞が今回のような速度で大きくなると早期に気管が圧迫される可能性があって、そうなったら摘出は負担になり過ぎるので、呼吸困難を防ぐ為に今度は喉を永久切開しなければいけない。だとか、進行を抑える為の抗がん剤治療ではあるけれど、副作用がどうなのかだとか。今のところ他臓器への転移は見つかっていないけれど、リンパは侵されているから、今後、転移する可能性も捨てきれないだとか。ここから愛犬が歩む毎日がとても大変なものである事がわかってるからこそ辛い。それでも心臓が動いてる限り、抗って側にいて欲しい。という気持ちと、その気持ちを上回って彼が辛そうならば何処かで終わりを決めてあげるべきなんじゃないかという考えが織り混ざってぐちゃぐちゃしてる。
それでも私達にはそれに向き合う責任ってのが当然あって、昨日はずっとその話し合いをしてた。2人で泣きながら話をして、ここがラインだって線を身勝手ながら2人で決めた。頑張ろうと心臓を動かせてる彼の、その動きを止める日のことを今から考える事は、あまりに身勝手で、ひどく悪いことのように思えるけど、それもまた私たちが彼を愛してることの表れなんだと信じて。残された日々を過ごそうって。そうやって受け入れて、…受け入れきれてはないけど、飲み込んで。そうやって朝を迎えた。
朝、愛犬がいないと泣く彼女を抱きしめて、もう一回、気持ちの擦り合わせをして、頷いて、私たちが倒れてる場合じゃないよ。って、ご飯を食べて。きっと明日も同じような朝を迎えると思う。彼が退院して家に帰ってくるまで、その数日で涙を枯らしてしまわないと、弱音は吐ききってしまわないと、それはすぐに伝わると思うから。

残された時間は、なるべく笑っていたいし、より深く愛でていたいし、温かさや楽しさや優しさや、そういう良いものに包まれて彼には命を終えて欲しいと思うから。
どれだけ抗っても、時間が過ぎるのは、あまりに早いから。だから毎日を大切に生きていかなきゃいけないんだなって。この歳になって、彼に教えてもらった。

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