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凍えるほど愛しい


愛犬が亡くなった。

少しずつ少しずつ状態が悪くなっていく中で、それでも頑張って命を繋いでくれていた。完治はできないが、それでも現状を少しでも良くできるかもしれないと、新しい治療法を試みようとしているとこだった。
食事が一切できなくなって、強制給餌をして頂いた。病院から帰ったその日、苦しむ姿に終わりの近さを痛感した。
彼の為にと行ったものが、彼を苦しめている現状と。この苦しみを味合わせている事が、そもそも私たちのエゴでしかないのではないかと、答えの出しきれない疑問を抱えたまま、朝を迎えて。病院に向かった。

体温が低く、危険な状態。「あぁそうか」と冷静にその場は受け止めた。一度、体を温めて、それでも胃に何か入れる方がいいから一回分の給餌をさせたあと、入院になるという担当医に、私たちの我儘を伝えた。もともと、危ない状況になった時、回復の見込みが低ければ、家で過ごさせたいと思っていた。もうこの日まで頑張れるだけ頑張ってくれた彼の最期が病院の酸素室なのは嫌だった。きっと家で看取るより、息はしやすいだろうし、的確な処置を受けられるだろうし、彼の体のことを考えればその方が良いことは百も承知で、それでも最後は一緒に居たいという、飼い主のエゴに担当医は積極的治療の終了と、家での看取り方を優しく伝えてくれた。

昼過ぎに家に帰って、そこからずっと3人で過ごした。力なく寝転んだままの彼の体をブランケット越しに撫でて、体温が落ちないようにとカイロを挟んで、少しでも飲めるならと口元を水で湿らせて、ただずっと名前を呼んで話しかけた。少しずつ奪われていく命を見てることしかできない事に謝り続けて、もがきながら一緒にいれる時間を伸ばしてくれる彼に、ありがとうを言い続けた。

明け方前から、何かを訴えるように鳴き続けた彼の最期はとても静かだった。


本当に息をしていないのか何度も確かめてしまうほど、呼び掛ければ意識が戻るんじゃないかと何度か頬を弱く叩いてしまうほど、何も変わらない姿で。それでも彼はもうそこに居ないんだと理解してしまえるから、嗚咽を止めることができなかった。

彼の体を綺麗に拭いて、最後のチューだなんて言いながら何度も額に口付けて、大丈夫ちゃんと受け入れて進むからと誓いながら、離れたくないと泣いて、ずるずると引き伸ばした葬儀屋さんへの連絡をした後も、目の前の彼の体さえも無くなってしまう事が嫌で泣いて、また最後のチューをして、そうやって彼を見送った後も泣いて。彼の面影が残りすぎた部屋で過ごすのが辛くて少しだけ模様替えをして、その都度、彼の匂いが染み付いたクッションやブランケットを2人で嗅ぎながら泣いて。

今も泣いてる。

涙が枯れるまでなんて言葉があるけど、涙は多分枯れないし、ゆっくりどうにか押し込める術を身に付けるしかないんだろうなと、今は思ってる。

彼の最後を後悔をしないなんてことは到底無理な話で、もっとしてあげれることや、もっとしてあげたかったこと、あの時こうしてあげれてたら、あの時こうしなければ、なんてものが無限に溢れて、行き場がないからそのまま腹の奥底に溜まっていく。


14年ほどの月日を彼と彼女との3人で過ごしてきたから、当たり前のように染み付いた生活がそこに無いことを実感するものが多くて、きっとまだまだ長い期間、彼を思って悲しくなったり寂しくなったり申し訳なくなったりを繰り返すんだと思うけれど、その感覚を失いたくもないとも思っている。


今は想像できないけれど、この先彼の居ない日常の方が当たり前になった時の自分の為に、今の自分の気持ちを綴ってみた。ここがあってよかった。



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