ピノと仲良くなれそうで、その為に今はとても大切な時期に思えて僕はこっそりピノの部屋を訪ねることにした。ジョシュには悪いけれど今ピノと離れたくない。
痺れを切らした、のだと思う。
「はい」
カチャリと開いたドアの隙間から覗いたのは目当ての人間ではなかった。大きい瞳とくせっ毛が印象的な、おそらくピノの同室者だろう、いくらか年下らしい少年。
「ピノはいますか」
「あ、…あ、はい。ちょっと待ってください」
少年はにこりと笑うとドアを大きく開いて部屋の奥へ行った。
暫くするとピノが現れた。そのすぐ後ろには携帯電話を持って困惑したような顔の先程の少年がいる。ピノが彼に構わず僕を接遇するのを見て怖ず怖ずと学習室に入りながら手にある携帯電話で通話を始めた。
「入って、入って。どうしたの?」
「……いや、」
「……」
「何か話せたらなって。それだけ」
ピノは特段の反応も見せずに綺麗に微笑む。
「ありがとう」
綺麗過ぎて、緊張した。
「体調はどう?」
「え」
「大丈夫ならいいんですけど」
また深く笑んだ。それを直視できなくて僕は目を反らす。
「……」
「何か話したいことがあったんじゃないですか?」
「いや、別にそういうことじゃなくて、」
「いいですよ」
「え」
「なんでも話してください」
「……」
「何かありましたか? 大丈夫?」
「……」
僕は圧倒された。優しさに。
「……大丈夫ですよ。なんでも言ってください」
「…違う…」
「……はい?」
圧倒されて、吐き気がした。
隣に並んでベッドに座っていたけれど、僕は無言で立ち上がって部屋の出口に向かう。
「帰る」
「え、ちょっと、」
ドアノブに手を掛けたところで腕を掴まれた。それを無視してドアを開こうとしたけれど後ろから抱き込まれるように抑え付けられる。同じくらいの身長なのに思ったよりずっと体格差があるらしく、抵抗といった抵抗はできなかった。
「離せ…!」
「落ち着けよ」
「…離せっ」
「どうしたの」と耳元で言う声は優しくて、今度は、泣きたくなった。
「ねえ、帰らないで。お願い」
「……」
分からないよ。僕には君が分からない。
「話しに来てくれたんだろ。だったら帰るな。俺だってお前と話したいって思ってたんだ」
ピノの言葉は僕をすっぽり包む彼の腕みたいに温かくて安心できた。強くて逞しくて哀切な温度で心を解かす。
「……」
言いたいことなんて、本当に無いのに。あったとしても、それは全部、彼が乱暴に代弁してくれるような気がした。
「この部屋なら邪魔されないんだ。ゆっくり、もっと何か、なんでもいいから話してくれよ」
うん、僕も同じことを思ってたよ。
また僕たちは部屋の奥へ戻った。ピノは靴を脱いでベッドの上に座っている。もともと部屋は薄暗くて、天井の低い2段ベッドの1段目の奥で壁に寄り掛かるから、その表情はよく見えない。見ようとも思っていないけれど。
「なんか、すみません。興奮して」
「……」
「腕も強く掴んじゃいましたけど平気ですか…?」
「うん」
「そう。よかった」
もう帰りたいと思ったけれど、同じことにならないように話しかけた。
「言ったよね。僕は君のことが好きだって」
「…え」
「ずっと君と友達になりたかった。初めて君を見た時から、僕は君のことが好きだったんだよ」
「……ありがとう」
自分の筋張った指を眺めながら「どういたしまして」と返す。
「私も君と話したかったんです。なかなか話せませんでしたけど、部屋なら安心して話せますね」
「うん」
「次は私があなたの部屋へ行きます」
「…うん」
「……」
君が分からない。どうしてそう簡単に嘘を吐けるのか、分からない。
「……」
「ジョシュとは仲が良いんですか?」
「…良いんじゃない?」
「そうですか」
痺れを切らした、のだと思う。
ベッドに上がって詰め寄る為に靴を脱ごうと前屈した僕を勘違いしたのかピノに「待って」と引き留められた。間もなく腕を取られて靴が脱げなくなり、僕はそれに構わず後ろを振り返ると至近距離に彼がいてどきりとした。けれど今はそんなことも関係ないくらいに腹が立っている。
「ふざけるな」
渾身の力を目に込めて睨む。
「…ノイウェンス、」
「ふざけるな。馬鹿にしてるのか」
「どうしたんですか…!?」
慌てたピノは両手を広げて降参のポーズを取っている。だけど靴を履いたままの左足に気を遣うことなく僕はピノに躙り寄った。背中が壁に辿り着くと彼は僕の肩を手で押さえ、接近を阻む。
「君が好きだ」
口を衝いて出るのはそれだけ。
苛立ちも嫌悪も超えて、僕の口からは愛の言葉しか出てこない。初めて見た時から好きで仕方なくて偏執としか言えないような片想いをしてきたから、見返りなんて無くたって、僕はきっと君を愛する。
僕が酷く惨めで憐れでも、君は少しも悪くない。