※バイセクシャル
※恋人未満
橋本は実家が金持ちだという噂だが実際のところはよく知らない。但し歴代の橋本の彼女は上品で金回りのいいお嬢様ばかりであったことは確かだ。
橋本が実は貧乏だったら良い。
橋本が貧乏だったら俺が金を使う楽しさを教えてやる。
でも、実際のところはきっと、橋本なら俺と出会う前に金持ちの女と付き合ったりして、結局は今と変わらない状況になるだろうな。それって今と変わらないよな。
どっちでも良いか。
橋本と遊ぶとなんでか俺は少し多めに金を出してしまうので橋本自身の財力についてはよくわからない。橋本の金銭感覚についても特に変だと思うこともない。俺が高いと言えば橋本は「たしかに」と答え、俺が安いと言えば橋本はやはり「たしかに」と答える。
橋本は金に困っったことがないと思う。だけどだから金持ちだとは思わない。
どっちでも良いんだけど。
だって俺は橋本が好きだ。
俺は橋本をちょっと緩い関係の恋人のように思ったりもしたが橋本の方は俺をそんな風に特別な存在とは感じていない。今のところ橋本の恋愛関係はストレートだ。
振り向かせたい、ってのは男の欲望だよな。
本能が橋本を求める。
うん、仕方ない。
昼休みに一緒に夕飯でもと誘ったらダルそうな声で「いいよ」と言われた。俺はこいつが一度でも俺の提案に「いいね」と言ったのを聞いたことがない。でも、嫌そうな顔で断ることもないから懲りずに俺は橋本を誘う。
橋本はいつも、そう、いつでも、約束の時間に少し遅れて現れる。
今日も漏れなくそのパターンだった。
店に向かう車中でラジオに流れる何年も前の流行歌を気分に任せて橋本が口ずさむ。俺はそれを聞いて橋本がちょっとくらい遅刻しても全然怒る気にならない理由を悟った。
俺は女にするみたいに橋本をエスコートする。
店員も俺達を慎重に扱うからちょっと“その気”になれる。
少しずつ料理を食べながら酒の入った橋本はぼんやり夜景を眺めている時に突然「東京タワーが見たい」と言った。
東京タワー。
赤と白の電波塔。
都内に住んでいてもなんだかんだでビルに遮られて普段よく見えない東京タワーは長く東京に住んでいる橋本にとっても少し特別なものらしい。実家が埼玉の俺にとってはもっと特別だ。
「東京タワーが見たい」
「ああ、いいな。久しぶりに行くか」
「うん」
橋本は嬉しそうに笑った。
夕飯なんてどうでも良くて、メニューを見て橋本が食べたい料理が一品あれば良い方で、むしろ本題から外れたところに現れる橋本の気まぐれな我が儘を実現させられることが俺には嬉しい。
また誘いたくなる。
橋本の笑顔ジャンキーな俺。
お前ってズルいよ。
車で迎えに行くと遅刻がまだましになるというくらいの理由で車を出している俺は、このまま橋本を橋本の行きたい場所へ運んでやれる喜びを改めて実感した。
自由な感じ。
どこか遠くへ行けそうな。
あとは、あれだな。
橋本の鼻唄が可愛いから車を出したくなる。
東京タワーは近かった。時間が遅かったせいか駐車場もガラガラで近くで結婚式でもあったのかドレス姿の人が何人かいたくらいだった。
間近で見ると赤い鉄骨を赤いライトで照らされた東京タワーは神社の鳥居みたいで、東京を悪いものから守ってくれてるような風体だ。神秘的でどこか古めかしい。近代化した東京の象徴でありながら既視感のある温もりや郷愁をくすぐる。
橋本は俺と同じことを考えはしないだろうがどこか遠い目をして助手席から前のめりになって東京タワーをぼうっと見上げていた。
「展望台入る?」
「いらない」
「なんでだよ。そんなじっと眺めてんのに」
「東京を見下ろしたいんじゃねえもん。東京タワーを見たいっつってんじゃん」
「あ、そう」
「車降りねえの?」
「いらない」
「あ、そう。俺はちょっと降りてるね」
橋本を残して車を降りて煙草をふかした。橋本は俺のことなんか全く気に留めずに東京タワーに没頭している。
『東京タワーを見たい』って。
屁理屈だよな。
でも確かに東京タワーを見るには展望台には登らないのが正解なのかもしれない。小学生が喜びそうななぞなぞじゃねえんだから、とは言えない俺はそんな橋本を横目に東京タワーを見上げた。
橋本、喜んでんのか?
俺にはちょっとわからない。
煙草の火を消してぼーっとしてからスマホで写真を撮ってフェイスブックに投稿した。写真に橋本をタグ付けして「橋本と仲良い自慢」をしてみるのが俺の趣味のひとつだけど、プライバシーの設定が厳しいのかなんなのか橋本のタイムラインには表示されないのが残念なところだ。
チラッと橋本を見てみる。
微動だにしない。寝てるかもしれない。しょうもないヤツだ。
俺はちょっと笑ってもう一本煙草に火を点けた。
ああ、旨い。
「橋本?」
「なに」
「寝てるかと思ったわ。なあ、スカイツリー寄らない?」
「え、べつに。いらない」
「なんでだよ。取り敢えずせっかくだから寄るわ」
車に戻ってエンジンをかけても橋本はそこまで嫌がらないから構わずスカイツリーを目的地にナビを設定した。見たかった東京タワーを見られて満足したからではなく抵抗して俺の気持ちを変えてやろうという程の意思がこいつにはないからだろう。
嬉しい楽しいって顔じゃない。
でもめんどくさいって程には嫌がらない。
ナビに頼って走っていると目の前にスカイツリーが現れた。
東京タワーと違って白っぽいスカイツリーはきらきら光って夜をロマンチックに演出している。守ってくれる感じはないけど、都会っぽさはあると思う。
「やば。テンション上がるわ」
赤信号で止まった時に橋本を見てみたら、こいつ、うとうとしてやがる。ああお前ってそういうヤツだよなと思いつつもこの掴みどころの無さも俺を惹きつけてるんだろう。後ろの車にクラクションを鳴らされるまで信号が青に変わったのに気付かなかったくらいだった。
「え、中にも入るの」
「ここだと路駐できねえから。駐車場も空いてっからいいだろ」
「べつにいいけど」
「乗り気じゃねえなあ」
併設された駐車場は空いていた。夜はどんどん深まるけれど外の公園にも中のショップにもそこそこ人が居るので彼らは近所の人なのか或いは電車で来ているらしい。
「どうする?」
エンジンを止めて尋ねると橋本はノロノロとシートベルトを外した。一応、降りてくれるらしい。
俺達は無言でエレベーターに乗ってソラマチに向かった。
「東京タワーが好きなの?」
スカイツリーに来たのは余計だったかなとダルそうな橋本を見て後悔しかけていた俺はそれとなく橋本の機嫌を取ろうと試みた。
……。
シカトされた。
「橋本?」と俺が言い切る直前、エレベーターは目的の階への到着を告げて扉を開いた。エレベーターの扉が開いただけで橋本に拒絶されたと感じる。売り場が白っぽく光って俺達の間にある溝を煌々と照らし出された気がした。
相当重症だ。
しかし俺は橋本の「すげー。きれー」という感嘆で全てを水に流した。
橋本は俺の気も知らないですたすたと歩き出した。
ダルそうでも良い。主体性がなくても良い。機嫌が悪そうでも良い。シカトしても良い。ただ時々笑ってくれたら良い。たまにでも俺のことを好いてるみたいに感じさせてくれたらそれで良い。
相当重症だよな。
「見てこれ」
「あ?」
「東京ばな奈。しかもスカイツリー限定」
「買うの?」
「みーちゃん買ってくれたらそれ食べたい」
はぁ?
「寝言は寝て言え」とは言えない俺は、非常に珍しいことに自分の我が儘を自覚しているらしい橋本が悪戯っぽく目を細めて笑うのを見て、食べ物としては素晴らしいとは思えない模様のあるそれが5個入りのパックをひとつ手に取ったのだった。
橋本とカップルだと思われて嬉しいってのが大体おかしいんだ。
実際に男と付き合ってた時は外では仲良い友達か兄弟だと思われたかった。なんで橋本とはただの友達なのにカップルと思われたいのかさっぱり分からない。
その後ろめたさを金で買っているのかな。
橋本、ごめん。
東京ばな奈買ってやるから許せよ。
「はい。あげる」
橋本は目をきらきら輝かせて豹柄の奇妙なお菓子を受け取って破顔した。
橋本の「悪くない」は紛れもない本音だ。良くもないし悪くもない。欲しくないけど捨てることもない。思い出すことはないけど忘れてはいない。
橋本にとっての「いいね」って瞬間はなんだろう。いつ来るのだろう。
俺はよく考える。
考えるけど、さっぱり分からない。
でもいつでも与えたくなる。
「あした食べるわ。すげー嬉しい。みーちゃん、ありがとう!」
なんつーのかな。
もう良いや。
俺は橋本の東京タワーになりたい。赤くて威厳があって古風で武骨だけど人間味があってずっと見上げていたくなるような灯り。不思議な懐かしさと記憶に残る温かな灯り。
橋本は帰りの車の中でまた鼻唄を歌った。
俺はその時間を好きだと思った。