※夢枕版
※妄想設定
※たぶん博雅はゲイ
秋が深まった。
庭の木からは風もないのに葉が落ちて、景色は寒々しくなりつつある。それを男が二人、何を見るともなく眺めている。11月のことである。
「なあ、晴明」
博雅は庭から目を離さずに尋ねた。
晴明は口に笑みを含ませて「なんだ」と答えた。手には酒の入った杯を持っている。
「秋になると葉が落ちて、草木の力もなくなり枯れていくけど、俺にはその中の奥の方では命が蓄えられているような、不思議な感じがするよ」
「ほう」
晴明はわざとらしく嘆息して博雅を見た。
「草や木も季節が巡るのを知っているのかな」
博雅はそう言って同意を求めるように晴明を見た。くっきりした意志の強そうな目元がなんでもしっかり見詰めるのを、晴明は面白そうに見返す。
「それは、博雅、お前が知っているからだろうな」
「俺が知っていたら草木も知っているのか」
博雅は納得がいかないような顔で首を傾げた。
「お前は季節が巡ることを知っているから、お前の目に写るものもそう見えるのさ。お前が知らなければお前の目に写るものも知らないということだ」
博雅は眉根を寄せて晴明を見た。
「それは『呪』の話しか」
晴明は笑って「悪いが、そうだ」と答えた。
博雅は隠さずにむっとした表情になった。
博雅は晴明とならどんなことでも楽しくいつまででも話していられるけれども、この『呪』だけは違った。『呪』の話題が出るとどうも風流な気持ちが吹っ飛んで頭の中がこんがらがる。
「わかった。この話しは、やめよう」
晴明がそう言うと博雅は不服そうに「ありがとう」と答えた。
もしお前が俺の気持ちを知ったら、お前は俺の目から見て変わって見えるのだろうか。「俺とただの知人である晴明」と「俺の気持ちを知っている晴明」は果たして本当に違うものなのか。
きっと同じだ、と博雅は思う。
晴明はこれまでと変わらず口に妖しい笑みを浮かべて「馬鹿め、信じたのか」と静かに言うだろう。
そのことを確かめてやりたい。
お前は間違っていると明かしたい。
俺はお前の嘘を見抜いたぞと言ってやりたい。
でもそれは叶わない。
「博雅」
その声はやけにはっきりと博雅の耳に届いた気がした。何か妖しい方法でも用いたかと思うほどだった。実際にそうして博雅を驚かせて楽しむ有難くない趣味が晴明にはある。
「なんだよ」
博雅の声は、自然と警戒の色を持っていた。
晴明は手酌しながら「これから人に会う」と言った。
博雅が驚きの余り「え?」と声に出したのも無理はないだろう。しかし晴明はそれさえ楽しむように酒をまた一口飲んでいる。
「博雅と約束があると言ったのだが、それであれば連れて来て構わないと言うから余程の用事なのだろう」
「それは、お前が“そういう顔”で言ったからだろう」
「そういう顔?」
「うん。自分は一歩も譲歩しない、って顔」
「俺はそんな顔をするかな」
「ああ。今もしている」
晴明は酒に濡れた唇で弧を描いた。
「先約はお前だったからそうと言ったのに、お前は俺を責めるのか?」
博雅は、はっとして眉尻を下げた。自分が悪いと思ったら黙っていられない男である。
「すまん」
晴明はふふんと鼻で息をして酒をまた飲んだ。
「その、それはどなたなのだ」
博雅が尋ねると、「お前は知っているか?」と晴明が切り出した。
【兆し】
ある男の話しである。
その男は名前を大泉逍遥と言い、よく名前の知られている大企業に勤めている。人当たりはよく友人も多いが、今まで長く付き合える友人ができなかった。
早くに両親を亡くして近くに身寄りの者がいない。寂しさを紛らわす為にインターネットに出会いを求めて身元のはっきりしない人間と遊ぶこともよくあった。
いつも孤独から逃れられず心から打ち解けられたと感じたことがない。
大泉はその日も夜中インターネットの動画サイトで新しい遊び相手を探していた。そしてある女と知り合った。
「あれは、人間じゃない気がするんです」
大泉は言った。
博雅は居住まいを正して大泉の話しに慎重に頷いた。
話しが決まると行動が早い二人である。晴明と博雅は早速大泉の家に向かって彼自身と対面した。博雅は遠慮がちに家の中に上がったが、大泉は全く気にとめていないような雰囲気だった。
「私はとんでもない“モノ”と関わってしまったんでしょうか?」
大泉はそう言って晴明を見た。
「それはまだ分かりません。詳しい話しを聞かせてくれますか?」
「はい」と大泉は頷いた。
「これを見てください」
それは預金通帳だった。ぱっと見ただけでもかなり高額の預金があるようで、博雅は目を丸くした。
「あの女性と知り合ってから預金が10倍以上に増えました。運がいいんです。でもこんなのおかしい」
大泉は通帳に目を落として溜め息をはいた。金が増えて困惑するというのも不思議な男だな、と博雅は思った。大泉が思ったよりも大分柔和だったのでだんだんと気を許し始めている。
「これからその金をどこかへ預けるという話しになっているのであれば心配ですが」
晴明は通帳を見下ろして冷静に答えた。
「そんな話しはありません」と、大泉は幾分憤慨した様子で返した。
大泉の心配事はそんなことではなかった。
大泉が言うには、その女、初めて会った時にはみすぼらしい格好をしていた。皺の寄ったシャツ、色の落ちたズボン、癖がついたままの長い黒髪、化粧っ気のない顔。大泉はそんな彼女だからこそ親しみを感じて近付いた。
女が変わったのと、大泉の『運気』が良くなったのとは、おそらく同時だった。
「悪魔に取り憑かれた、なんて。言っても誰も信じてはくれませんけどね」
大泉は自嘲した。
「質問をいいですか?」
晴明がはっきりとした声で言った。
「もちろんですよ」
「その女、あなた以外にも姿は見えていますか?」
「ええ。食事に行くこともありますから」
「声を思い出せますか?」
「だいたいは。普通の声ですよ」
「顔や姿形は思い出せますか?」
「思い出せます」
「その女は美人だと思いますか?」
「それは、私はそう思います」
「神社や寺などを嫌っていましたか?」
「いいえ。出会った頃に、一緒に初詣に行きましたよ」
大泉は何か思い出したのか優しげに微笑んだ。
晴明は「なるほど」と言って顎を撫でた。
「その女、普通の人間のようですね」
晴明がそう言うのを聞いて、博雅は信じられないような顔をした。晴明がいかにも何事か解決しそうなことを尋ねていたのに、結論が余りに在り来たりだったからだ。
大泉も同じように思ったらしい。がっくりと肩を落とした。
「私は今まで自分をそう幸せ者だとも思ってきませんでしたけどね、今はそんな人生でさえ、まだまだどん底に落ちて行くように思えるんですよ。大切なものを失いそうでとても怖い」
博雅は大泉の落ち込んだ姿を見て「そんなことはない」と思わず言っていた。
驚いたのは大泉である。
「僕にはあなたの幸せのことは分かりません。でも、先程おっしゃった考え方は違うと思います。『大切なもの』を得たから失いそうで怖いけど、本当にそれだけでしょうか。あなたは『大切なもの』を得て、幸せを感じてはいないのですか?」
博雅は切々と問い掛けた。
博雅は大泉とは初対面で、互いにはっきりと言葉を交わしたこともない。しかし彼が気落ちしているのを黙って見ていられるような男ではなかった。
「僕には、あなたの中に、『幸福への兆し』が感じられるんです」
博雅はそう言って、力強く迷いのない瞳を真っ直ぐ大泉にぶつけた。
なんの誤魔化しもない。
なんていい漢なんだ、と大泉は思った。
そして同じようなことを晴明も思っていた。相変わらず博雅は天才的な閃きとかけがえのない実直さを持っているな、と。
「私も同感です」と晴明は言った。
「その女に惚れましたな?」
晴明はその言葉とは裏腹に確信を持ったような不遜な表情をした。
博雅は「え?」と言って驚いた。
「あ、ああ、惚れたのか!」
そしてなにやら一人で納得して顔を赤くした。顔を赤くしたのは博雅だけではない。大泉も顔を赤くしていた。
「私が、彼女に……」
「身に覚えはありませんか?」と晴明が尋ねると大泉は否定することもできずに口ごもった。
「その女に気持ちを伝えることですね。そうすれば向こうの気持ちも知ることができる。互いの気持ちがわかれば、見え方も変わってくるものですよ」
晴明がそう締め括った。
大泉は顔を赤くしたまま、晴明と博雅を見送った。
外は雨が降っていた。強くはないが、体を凍えさせるには十分な雨だ。
「帰るか」
晴明が言った。
博雅は「うん」と言って頷いた。頭の中では先程のことがまだ巡っている。
晴明はどこまで分かっていた?
いつから?
博雅は晴明に何か言われても「うん」と曖昧に答えて頷くだけだった。晴明は怒ることもなくそんな博雅を面白そうに眺めている。
晴明の家に着いてからも博雅はぼんやりしていた。
「あれは『呪』の話しだったのか?」
「あれ?」
「大泉という方の、恋の話しだ」
博雅が至って真面目に尋ねるので晴明はからかうこともできない。
「人とはそういうものさ。想い人が恋しい人にも見え、悪魔にも見える」
「なんだか悲しいな」
「よくあることだ」
博雅は晴明をじっと見詰めた。
晴明の言うとおりだった。
『恋しい人にも見え、悪魔にも見え…』
今は、どっちだろう?
「でもなあ、俺にはあの方の中には、確かに幸福の兆しのようなものを感じたのだよ。相手のことなど知りもしないのに、温かいものが秘められているような、そんなものが感じられたのだよ」
「あの枯れ木のようにか?」と晴明が庭の木を指差した。雨で更に葉が落とされている。
「うん」と博雅は木に目を移して頷いた。
「うまくいくといいな」
博雅が呟いたので、晴明はくつくつと笑った。
随分と年上の男の恋を応援する博雅がなんとも愛おしく思えたからだ。
「お前、また好きな女でもできたか?」
我慢できなかった。
余りにおかしくて黙っていられなかったので、晴明は仕方なくそんなことを尋ねた。博雅が顔を赤くしてむっとするところまで想像できる。
想像どおり博雅は顔を赤くした。
「なんでそんな話しになる?!」
これは強ち本当だな、と晴明は思った。
博雅が惚れっぽくて色んな女に恋をすることは前々から分かってはいたが、こうして顔を真っ赤にするのを見ると独占欲が頭を擡げてくる。からかってやりたい。泣かせてやりたい。
「今度は誰だ?」
「誰でもない」
「俺が仲を取り持とうか?」
「誰でもない!」
「顔に書いてあるぞ。『好きです』ってな」
博雅は「やめろ阿呆!」と言って立ち上がった。
博雅の顔は耳まで真っ赤で手は震えているのまで見えたので、晴明は流石に申し訳なくなった。
一回りも年齢が違う子供を相手にムキになってしまった。
「すまない、博雅」
晴明は立ち上がって博雅の近くまで歩み寄った。手を伸ばせば触れられる距離である。
震える手を握ってやりたい、と思った。
「博雅。許してくれ」
「うん」
博雅は素っ気なくそう答えて、その場に座った。そして気持ちを告白できない自分の弱さを呪った。