※刀さに(ぶしさに)
※刀ステ未履修のとある本丸
※女審神者
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【山伏国広のいる世界(後編)】
「主殿、よろしいか」
その声が聞こえたのは、たぶん歌仙が部屋を出てから30分以上経ってからだったと思う。
本日、私は体調不良を申し出て少し休みをもらったのだった。私室のベッドで横になって休んだら、少し体調は戻った。そして、歌仙は私に会いたがっていたと言う山伏を呼びに行ってくれた。
いま思い出しても恥ずかしい。
私は、話しの流れで、私と山伏が恋仲であることを告白してしまった。
山伏は、そのことを知っているのだろうか。私が歌仙に、私と山伏との関係を話してしまったことを。
「どうぞ」
声が上擦ったぞ。
だって勝手に話してしまった。
そういうの嫌だったかも。
別に今日すぐ会わなくたって良かったじゃないか。歌仙は適当にごまかして、あとで二人で会えばよかったのだ。そうだその方がよかった。
扉が開くと、そこには山伏がいた。
当たり前だ。
「主殿、具合はよくなったと聞いたが」
「あ、うん。もう大丈夫」
私が笑うと山伏も笑った。
好きな顔だ。
私は一瞬で先ほどの悩みを忘れかけた。
いけない。いけない。
山伏は遠慮がちに近付いてきた。いつもと様子が違う気がする。まさか、やっぱり、私のことを嫌になったのではないか。それで態度が変わったのではないか。私は掛け布団で顔を半分隠しながら山伏の様子をうかがった。
「主殿……」
「あ、あの、歌仙に、なにか、言われた?」
すぐ近くに山伏を感じる。
布団を持ち上げて、ここへ来て、って言いたい。
宝冠を外して、手甲を外して、寝巻きに着替えて、ここで二人で寄り添ってさ。
「主は少し体調が良くなったようだから、今なら会えると聞いた」
「あ、うん。寝たら全然、良くなった。ご飯もぜんぶ食べちゃった」
「それはよかった」
「うん。歌仙にお礼言わなきゃ」
山伏は目を細めて優しげに笑った。
なんだかやはり、様子が違う。
やめてほしい、こんなことは。
私は山伏の足元を見るようにしていた。とても目は合わせられなかった。
「病み上がりに、本来急いて会いに来るべきではないと思ったのであるが。あの時のことが、気になり。実は、拙僧は、あの時、ひどく怖かった」
「え?」
「主殿は、拙僧のことをわかっていなかった。あそこで、声を掛けたとき、主殿は、拙僧のことを、怖がっているようであったから」
なになに、なんのこと?
「え、私?」
目線を上げて、頑張って山伏を見ると、彼は相変わらず笑っていた。
「拙僧は、この体となって、主と出会えて、本当に幸せである。しかし、まったく拙僧のことを知らない、記憶のない、主は、拙僧を見て、あれは、思い違いでなければ、拙僧のことを怖れるような目をして、拙僧から目を逸らしたであろう」
「えっと」
正直、記憶は曖昧だ。
気づいたらあそこにいて、なんだか山伏のことを他人のように感じたことは覚えている。たぶんあの時、私はなかば気絶して、あそこへ行ったのだと思う。
だからどんな会話があったか、わからない。
「恋い慕っている人に、忘れられ、怖れられ、拙僧はとても怖かった。これは現実ではないと思いたかったが、主はそのままの姿であったし、見過ごせず声を掛けてしまったが、少し後悔した。あんな風に拒絶せれるとは思っていなかった故。しかし声を掛けねばここへ戻って来られなかったやもしれぬし、難しいものであるな」
「すみません」
「あいすまぬ、責めたつもりはない」
「いや、そんな」
「今も拙僧のことが怖いか?」
山伏はベッドに手をついて、私の上に身を乗り出した。
私は我慢できず、布団を剥がして山伏に腕を回した。大きい体、熱い体。好きだ。大好きだ。
どうしてそんな悲しいことを言うの?
「好き。すごく好き。それじゃダメ?」
それ以外には、言いようがなかった。
怖い、という感情は、実は前から抱いていた。山伏に限ったことではない。人間ではない彼ら、体が大きいものもいて、刀で人を斬る。現実的ではない瞳の色、それなのに傷つくと赤い血を流す。
彼らは私の中にある根源的な恐怖心を煽る。
でもそれがなんだって言うんだ。
私が山伏を好きなことと、なんの関係がある?
怖くて当然だ。
私の私室に来る時、彼らは刀剣をどこかへ置いて来る。暗黙の了解なのか、歌仙が作った規則なのかはわからない。
しかし、それだけ、あの刀はた易く私を斬ってしまえる。蜻蛉切の刃に触れたトンボのように、例え事故や誤ちで触れたとしても、それで死ぬことだってあり得る。
彼らはそのために生まれてきた。
そのために鍛えられ、研ぎ澄まされてきた。
斬れない刀なら、今の世にまで名前を残さなかっただろう。
だから私は彼らが怖い。
でも、そんなことは、山伏がどんな見た目だとしても、山伏がどんな刺青を彫っていて、どんな刀を携えていたとしても、それと私が山伏を好きなこととは全然、まったく、関係がないと断言できる。
山伏は崩れるようにして、私と胸を重ねた。
「泣きそうである」
可愛いことを言う。
こういう山伏が、好きで好きで堪らない。
「泣いてもいいんじゃない?」
「拙僧は主殿の前では笑っていたいのだ。それぐらい、強くなりたく」
私は山伏の大きな体に回した腕を動かして、背中を撫でた。
なんだか色々と余計な心配をしてしまった気がするが、こうして山伏と会うと全部ぶっ飛んで行く。そういえばいつもそうだった。山伏といると心配事はどこかに行ってしまって、愛しい、という感情が大きく膨らんで残る。
山伏がぎゅっと私を抱き締める。
私も山伏をぎゅっと抱き締める。
なんて幸福なんだろう。
「まだ戦装束なんだね、お風呂まだなの?」
私が聞くと山伏は「いや、入った」と答えた。
山伏は私から離れてかしこまった風に正座した。少し崩れてしまった衣装を手で直してから、私をまっすぐ見た。
「主殿に忘れられ、嫌われたかと思った故、失礼がないよう正装で訪ねることとした。しかし杞憂であったようだ」
私は刀で心臓をチクッと刺されたかと思った。
なんでそんなに健気なのか。
「山伏、着替え、そこに……」
私がクローゼットのある方向を見ると、山伏は「うむ」とうなずいた。
好きという感情以外にはないのではないか。怖いという感情は、あるときふと湧いてくるが、それ以外の時間は概ね『好き』で満たされている。それくらい好きだ。
山伏は手際よく宝冠と法衣を脱いだ。着替えは私の部屋に置いてある。別に山伏専用というわけではない。長谷部にはこれが見つかって誰か親しい刀がいるのではないかと詰め寄られたが、それが誰なのかは長谷部にもわかっていないようだった。
たくましい体を直視できず、私はまた布団に潜った。
ほとんど時間を待たずに山伏が布団の上から私を撫でた。
「入っていいだろうか」
断る理由はない。
「どうぞ」
私が少し奥へ体をずらすと、山伏はゆっくり私の隣に並んだ。それから大きな体を私に寄せて、腕を回された。多幸感に包まれる。
「主殿、もう二度と拙僧を忘れないでいただきたい」
「それは……努力します」
「意地悪であるな」
「そんなことないよ。ねえ、歌仙には、なんて言われたの?」
「主の体調のこと。面会謝絶は解かれたと」
「他には?」
「……主と拙僧との関係を、知っておられたので、正直に、どうしても心配だから会わせてほしいと改めて頼み込んだ。歌仙殿は困っておられたな」
「あ、そう。歌仙に言っちゃって、ごめんね」
私が謝ると、山伏は大きな手で私を撫でた。
「本丸中に貼り紙をして、全員に知らせたいと思ったこともある。主に言ってもらえてむしろ嬉しい」
「ふふふ、本当?」
そんな熱烈なことを言われたことがなかったので、私はちょっと笑った。山伏はそういう顕示欲や独占欲とは無縁の刀に見える。そういうのをギャップと言うのだろうか。
私はギャップに萌えるタイプではないのだけど、それが山伏のものだと思うと可愛く感じる。
「主殿、この際なので、お尋ねしたきことがある」
「なに?」
「拙僧の、当番や、出陣のことである」
「え、あ、出陣? なに?」
それは、あのことだ。
鈍感そうな山伏なので、気づかれていないと思っていた。
そうだといいなと思っていた。
山伏が重傷で帰還してから、私は彼を重要な任務に就かせていない。ちょっと気まずいこともあり、宿直などをする当番刀にも、重傷になる可能性のある出陣にも、長い時間顔を合わせられなくなる長期遠征にも、山伏を割り当てていない。
山伏の仕事はもっぱら馬当番と演練だ。
わかっている。これでは生殺しだ。
「拙僧が刀装を忘れたあの日以来、どうも前と違うようだ」
気のせいではない。
私は「そうかな」などと言ってとごまかした。
「そうかな。あの、体調悪くて、あんまり部隊編成とかもできてなくて。ごめん」
「主殿」
「あの、体調が戻ったら、ちゃんとやります。山伏も部隊長とか近侍とかやりたい? あんまりそういうこと話したことなかったよね」
山伏は声を低くして「主殿」ともう一度強めに声をかけてきた。
ごまかしようがない。
もうダメだ。
「拙僧が破壊されるのが怖いか?」
なんでそんなことを言うのだろう。
ひどい。ひどいじゃないか。
勝手に涙が溢れてきたので、慌てて拭った。
「なんでそんなこと言うの」
「それが、自然の摂理だからである」
刀が壊れることが?
私は溢れてくる涙を止められなくなっていた。
「でもそんなこと言ってほしくない」
人間だっていつか死ぬ。でもそれを大好きな人に言われたら悲しくなるじゃないか。いま生きているのだから、それがすべてじゃないか。
山伏は困ったような声で私を慰めた。
「すまぬ。泣かないでほしい。愛しい人に泣かれるのは、拙僧もつらい」
「じゃあそんなこと言わないでよ!」
私は体を丸くして山伏に背を向けた。
「それは、主殿が、怖れているからである。主殿は、拙僧や他の刀が破壊されることを考えたくない、口にしてほしくないと言うが、実際はそのことがいつも頭にあるのではないか?」
図星だった。
破壊されるかもしれない、いつ破壊されてもおかしくない、そのことが頭から離れない。
「じゃあどうしたらいいの」
この仕事が続く限り逃れられない。
もう辞めるしかないってことだろうか。
でも、仕事を辞めれば山伏とも一緒にいられなくなる。
「拙僧を信じてほしい。それしかない」
山伏はそう言って、黙ってしまった。
私は山伏に向き直った。
着崩れた衿元から見える胸元に触れた。温かくてたくましい。そして心臓がどくどく鳴っているのがわかる。山伏は私のしたいようにさせている。
「難しい任務にも就きたい? いっぱい傷ついて、重傷になるかもしれないよ」
「うむ。そのために日々の修行がある」
「痛いよ? 先に他の刀から手入れするかもよ?」
「うむ。それもまた修行である」
山伏を見上げると、大きな口で大きな弧を描いていた。私の好きな、山伏の笑顔だ。
好きだ。好き過ぎる。
私は体を起こすと山伏の横に手をついて、そっと口付けた。
そっと、何度も口付けた。
「主殿!」
何度目かで、山伏が私の体をベッドに寝かせて、今度は山伏が私を覆うような体勢になった。
「好き」
私が言うと、何故かこのタイミングで照れたらしい山伏は、困ったように赤面した。それから一度だけそっと口付けてくれた。
「それで、拙僧の出陣の話しは……」
そうだった。
「本当は、すごく嫌なんだけど。仕方ないし。明日からまた出陣してもらうね」
山伏のことを信じよう。
皆のことを信じよう。
私はそう考えることにした。そうするしかない。
「あいわかった。任されよ」
山伏はそう言って、私の横にまた寝転んだ。いつもより夜更かしさせてしまったせいか、程なくして深い寝息が聞こえてくるようになった。
けっきょく、山伏の気持ちはわからなかった。
本人にもわかっていないのかもしれない。
でも仕方ない。
これもまた修行、かな。
私もそのまま眠ってしまった。
翌朝、起きると体が軽くなっていた。普段の倍くらい寝たせいかもしれない。山伏はすでに起きたのか、部屋にはいなかった。
「今頃起きたのかい?」
食堂に顔を出すと、昼食のあとを片付けている歌仙に声を掛けられた。
「はい。ご心配をおかけしまして」
「何か食べる?」
「うん。あの、今日の出陣とか、どうなってる?」
「まだ何も」
そう言うと歌仙はいったん厨に姿を消した。
私が適当な場所に座っていると、歌仙は一人用のきりたんぽ鍋を持ってきた。「御手杵のおやつだけど」と言って差し出されたそれは最高に食欲をそそる。
「体調は、もう大丈夫なので。編成とか決めたくて」
「無理してないだろうね?」
歌仙の鋭い視線に気付かない振りをして、私は答えた。
「無理してない。もう無理しない。それでね、歌仙の優しいところも、山伏の強さも、ちゃんと信じることにしたから」
きりたんぽ鍋は美味しいし。
私の大好きな山伏は優しいし。
無理しないで、ちょっとずつ前に進もう。
傷つくことも、傷つけられることも怖いけど、彼らはこんなにも優しいじゃないか。
私はそれでいいんだと思えるようになったんだ。
それでいい。
それでいい。
歌仙はちょっとわからなさそうな顔をしたので、おかしくなって私は笑った。