教室を離れていたことについて、先生は私を咎めることはしなかった。先生はあやめを先に教室に帰して今日あったことについて尋ねた。
若い人だな、と私は場違いなことを思った。
【冬に臨む】
「早く着いたので、校内を少し歩いてました。すみません。その時に落としたのかと思って慌てて探しに戻ったんですけど、さっき教室に戻ったらカバンに入ってました」
「それは、見付かって良かった。今日のは遅刻にしないけど、僕のクラスでは出席を取る時に教室にいない人は遅刻扱いにするから、気を付けるようにしてね」
「はい。すみません」
「あーあと、高階さんは菖蒲陽平君と知り合い?」
それは、確か。
陽平君って、彼だよね。
「さっき初めて話しました。先生が呼んでるって教えてくれました」
先生は特に顔色も変えずに「そうですか」と答えた。
陽平君は「先生に目を付けられた」と話していたけれど、私こそ先生に目を付けられた筈だ。平凡な高校生活を地味に在り来りに過ごしたいと思っていたのに、いきなりクラスで名前を売ってしまったのだから最悪だ。
陽平君にとって悪いことは喋りたくないけれど、何を言うべきで何を黙っているべきか分からない。
私自身にとってさえ、それは定かではない。
「分かりました。もういいですよ。47分には廊下に整列して欲しいので、高階さんも準備してください」
先生はそう言って愛想笑いした。
若いのだけれど、若々しくはない。
「はい。すみませんでした」
「いいよいいよ」
私が教室に戻るのを先生は淡々と見送った。それは父が今日私を見送ってくれた姿に似ている気がした。私情のない姿。仕事をする男の人の顔。
これから始まる新生活は楽しいものになるだろうか。
これから始まる高校生活は価値あるものになるだろうか。
これから始まる人間関係は得難い友情を築くだろうか。
私は不安だ。自信がない。牡丹さんだけが私の希求する光明であり感傷を呼ぶ愛着であり唯一の親友であり私の内情を知っているかもしれない人だ。牡丹さんと一緒にいる為に私はこの学校で何事もなく過ごしたい。目立たない存在でいたい。
例えるならば桜に見劣る梅の花。
私は私を見てくれる牡丹さんのためだけに咲きたい。
ああでも梅の花も可愛いから私には贅沢な例えかも。
教室に戻るとあやめと陽平君が明るく迎えてくれた。陽平君には先生に上手くは言えなかったことを謝罪した。あやめにはできるだけ優しげに微笑んでみた。特に上手くはいかなかったから自己嫌悪した。