警備員は私を覚えてくれたらしく、軽く会釈すると特に引き留められずに建物の中へ通してくれるようになった。私はミクの居る部屋まで真っ直ぐ向かった。
「こんにちは」
挨拶してくれたのはミクと同じ職場の人だ。名前は知らないけれど優しくしてくれるので愛想よく振る舞うことにしている。
「ミクはいますか?」
「それが、」
「また来たのか」
その人が答えるのを遮ってバイアスが現れた。
「ミクに会いに来たんです」
「そうか。ちょっと来い」
「え、ちょっと」
バイアスは長い脚で勢いよく廊下を進み始めた。私も背は高い方だったけれど、この世界の人達は人種から違う所為かその意識も薄れてしまう。小走りでバイアスに漸く追い付く。
通されたのは小さな会議室だった。初めてここへ来た時の部屋と同じかもしれない。
私はバイアスから離れた場所に座った。バイアスは立ったまま私を見下ろしている。明かりが点いていないので薄暗く、バイアスの青い瞳だけが窓から入る僅かな光を反射している。
「ミクに付き纏うな」
それは冷徹な目だった。背筋が凍える。
「…なんでそんなこと言われなきゃいけないんですか」
「ミクは金になるのか?」
「はい?」
「すっかり上客だな」
この男はまだ私を娼婦だと思っているのか。
私は立ち上がった。部屋を出ようとするとバイアスが道を塞ぐように立っているのに気付いた。悪趣味な男だ。
「話すことはそれだけですか」
私は目を伏せながら扉へ向かった。そしてバイアスと擦れ違う時、腕を掴まれた。
「もう一つある」
腕が痛い。
不愉快だ。
それに、怖い。
「何?」
「まだ聞いてなかったからな」
「…なんですか」
「結局、“幾ら”なんだ?」
バイアスが嗜虐に嗤ったのが分かった。
「離してよ!」
私が強く腕を引いてもバイアスは離さなかった。むしろ一歩詰め寄られただけで私の身体は彼の陰に覆われてしまう。
「なんだ急に、」
「離して!」
「何故?」
バイアスは愉しんでいる。
私は反対の手でバイアスに殴り掛かろうとしたけれど、それもあっさり捕らえられてしまった。身体が反転させられると簡単に壁に押し付けられ固定された。
「離し、て!」
バイアスに身体全体を使って押さえられてしまうと、いくら捩って抵抗しても壁に縫い付けられたように動けない。
「質問に答えてないぞ?」
「ロリコン! 死ね!」
「私の質問に答えないのか?」
「離せ!」
片腕が解放されたので抵抗を強めたけれど、バイアスの膝らしいものが背中を押して壁から離れることが敵わない。肋骨が壁と挟まれて痛んだ。
「離せ」と、また言おうとしたところで、口に何かが詰められた。
「悪い口は、必要ないな」
バイアスは耳元で囁いた。
怖い。
この男は異常だ。
再び腕が掴まれたと思ったら、反対の腕とひと纏めにされて何かで拘束された。ダラスにされた時と違ってただ乱暴に拘束されているから余計に恐怖を掻き立てられる。
「…、」
私は悪くない。
では何が悪かったのか。
床に倒されると私はもう無抵抗になっていた。頭の中には「怖い」という言葉ばかりが巡ってしっかり働いてくれない。
バイアスは私を仰向けにすると私の両脚をベルトで縛った。力の入らない脚は数回ばたついただけでバイアスの言いなりになった。
「ミクの方が良かったか。お前はへらへら笑ってる男が好きなのか」
「……、」
「まだ駄目だ。悪い口だったと反省するまではな」
バイアスは嗤った。
その時、扉が開いた。バイアスは慌てて私に覆い被さった。私はその誰かに助けを求めるように必死になったけれど、呻き声以外のまともな声は出なかった。
「あ、失礼」
その人は扉を閉めてしまった。
何が失礼なものか。
バイアスは手で私の目を隠した。そしてそれが離れると目の前にバイアスの顔が現れた。心臓と喉が引き攣れる感覚がした。
「駄目だな、他の男を見るなんて。この目も悪い目なのか?」
怖すぎる。
バイアスの言う“悪い”という意味が、怖すぎる。
私は首を左右に何度も振った。そして全力を尽くしてバイアスの目を呪いを込めて見詰める。緊張して目が乾燥するのか瞬きはしてしまうけれど、気持ちとしては目力でバイアスを殺せるくらいだと自分で思った。
「…、」
バイアスは無表情になって私を見た。
「監禁なんて、簡単なことだ」
「……、」
「分かったら明日の夜は私のところへ来い。自分の足で、来い」
バイアスは返事を促すように私を見据えた。その青には血が通っていないような冷たさがあった。
私は目を逸らした。
怖いけれど、そんなことに同意する程馬鹿ではない。
バイアスは私の鼻と口を塞いだ。
「…ッ!」
死ぬんだ、このまま。
私は苦しさの為か恐怖の為か、涙を浮かべた。そしてそれが零れる時には意識がなくなって失神した。