※BL
※拗らせた片想いを指摘されてキレる
※普段は名前、人前では苗字で呼ぶ
2年前に異動したのに、神田さんは今でも西東京支社の人達に歓迎されているらしい。特にパートのお母さん方に人気があるらしく、一緒に居る俺達まで差し入れしてもらえるから笑える。
あれは、マダムキラーってやつだ。
その神田さんは、平野にバイクの乗り方を教えていて、遠くから見ていても確かにいい男だ。
「お前さ」
神田さんを眺めていると、突然、隣に座っている深水が呟いた。
「先週、森田と遊ぶ約束してた?」
「俺はしてないけど。吉田はしてたんじゃねえかな」
そんなことを言っていたはずだ。
「待ち合わせ場所に行ったら、森田しかいなかったんだけど」
ウケるな。
俺が笑うと深水はイラっとした顔で俺を睨んだ。琢磨が見たら怖がりそうな顔だけど、今は琢磨がいないからなんとも思わない。深水は目付きが悪いから、後輩は深水の顔を羨ましがっていたけど、俺にはよく分からない。
俺は琢磨みたいな顔が好きだ。
「お前、吉田と居た?」
「いつ?」
「先週の土曜の午後」
「あー、土曜は授業あったろ。学校に居たわ」
「ハァ?」
深水は多分、学校に来てない。授業サボっておいてこっちの文句を言う辺り、我が儘だよな。
深水は土曜にほぼ登校しない。俺は学校なんてダルい時に適当に休めばいいと思うけど、深水は律儀に土曜ばっか休むから、深水の性格が出ててそういうとこ面白いのに、教師はそれを嫌っている。土曜授業に抵抗してると思われているのかもしれない。深水のは、そんな深い考えじゃねえと思うけど。
先週も授業が終わってから、中澤に深水のことを言われたんだった。その後、琢磨とコンビニで買ったものを適当に食べて、それから、どうしたっけ?
「岩尾は?」
あー、そうだ。思い出した。
「それだ。なんか岩尾がしつこくて、吉田が嫌がったから飯食った後すぐ帰った」
「だったらこっち来いよ」
「吉田の機嫌が悪かったんだよ」
「機嫌とかどうでもいいわ。こっちは森田と二人だぜ」
深水は舌打ちしてタバコの火を消した。
森田はクラスでいじめられてたとかいうんで、琢磨が最近仲良くなった奴だ。琢磨のことだから、理由は同情とかじゃなくて、大好きな京平先輩に関係するもの全部知りたいとか、詰まんないことを楽しくしたいとか、そんなことだろう。
京平先輩が森田を助けたとか、森田をいじめてた連中をシメたとか、一時期話題になったから俺も少しは聞いたことがある。京平先輩を信奉している琢磨は、だから森田のことに興味を持ったのだろう。森田自身の魅力とは関係ない。
俺だって、あの京平先輩のお気に入りなら、会ってみたいと思った。
深水はそういうの興味ないだろうけど。
しかし、現実は違った。
森田は詰まんない人間で、京平先輩が助けたとかいうのも多分勘違いで、琢磨の友達にしてはなんの取り柄もない平凡以下の奴だった。気に掛ける価値のない奴だった。
でも琢磨にとっては、どんなものであっても、京平先輩と関わりのある人間が居たら近付かずにはいられないらしい。馬鹿だからな。
それで琢磨が満足するなら構わない。
森田と仲良くしようとは思わなくても、琢磨を森田から遠ざけようとも思わない。
『俺がいじめられても、京平先輩は助けてくんないよな』
先週の土曜、琢磨はそう言った。
それで岩尾と喧嘩になった。
琢磨にとって森田は、今でも京平先輩の特別な存在らしい。岩尾が否定しても琢磨は耳を貸さない。
森田のせいで、最近、琢磨と岩尾がよく喧嘩をする。俺としては琢磨さえ良ければなんでもいいのに、岩尾はそうは思わないから喧嘩になる。
その森田と二人?
「どうでもいいだろ。そんなの、置いて帰ったんだろ?」
俺ならそうする。
琢磨が森田と仲良くなりたいだけで、俺とは全然関係のないことだ。だから森田と二人ってのは俺一人だけと変わらない。
深水を見ると、もう一本タバコを出して火を点けていた。
そして深い溜め息をひとつ吐いた。
「そういうの、ひでえよな」
「は、何が」
酷いか?
何が?
「お前って吉田のこと好きなの」
深水はそう言って俺を見た。キレた時の猛獣みたいな目付きじゃなくて、もっと複雑な、ちゃんと人間の目だ。だから多分、怒ってる訳じゃないんだろうな。
よくわかんねえ質問。
琢磨のこと?
「好きだろ、そんなの」
当たり前過ぎる。
俺は即答した。
大体、琢磨が好きだっていうのは深水には何度も話している。
「つか、流れわかんねえんだけど」
なんでこんな流れになったんだよ。俺には全然分からない。深水は割とわかんねぇこと言うキャラだけど、今回のは、ほんとに分からない。
「分かれよ」
「ハァ?」
「吉田以外好きじゃねえのかってことだよ。森田と吉田がそんなに違うか?」
「別人だろ」
当たり前の事実だ。
神田さんに聞いても同じことを答えると思う。
「だから、てめぇの好きは、おかしいっつってんだよ!」
深水は何故かキレた。声がでけぇ。
「なんだ、急に。まじでわかんねー」
分かれってなんだよ。
深水って我が儘だし、よくわかんねぇこと言うけど、俺に対してキレるっていうのはレアだ。琢磨にはたまにキレてるのを見るけど。俺とは気が合う方だから意外だしビビるわ。
「お前、吉田とデキてんの?」
「は?」
「そういう好きかって聞いてんだよ」
「は?」
「おかしいだろ。俺が連れて来た平野とは普通に話すのに、なんで森田はダメなんだよ。それって嫉妬だろ」
「ハァ?」
「いま吉田が誰かとセックスしてたとして、お前は別にいいって言えんのか」
何言ってんだ?
馬鹿か?
俺は深水の口からタバコを奪って投げ捨てた。ついでに胸倉を掴んでやる。
「琢磨は童貞だ!」
俺は叫んだ。叫んでから、神田さんの居る方を見ると、二人には聞こえなかったらしくまだバイクに乗っている。俺は決して冷静ではなかったけど、なんとなく、助かった、とだけ思った。
琢磨は童貞。
俺はなんでそんなことを言ったんだ?
深水に目を戻すと唖然としていたし、俺も自分の言ったことに呆然としていた。意味なんてない。事実かどうかも分からない。
そういうの、願望って言うんじゃねえの。
琢磨は童貞。
「悪い。そうじゃない」
俺に同情したのか、深水は目を逸らして優しく否定した。
深水のこういう言い方は初めて聞いたかもしれない。それぐらい不慣れで優しい言い方だった。こいつは女にもこういう言い方はしない。
俺は固まった掌を無理矢理開いて、深水の胸倉から手を離した。
『悪い。そうじゃない』
深水はなんで謝ったんだ?
琢磨が童貞だと聞いてしまったから?
不適切な例えだったから?
琢磨で俺を追い詰めたから?
俺には琢磨のことばかり頭に入ってくる。そんなの、幼馴染みだから当然だ。琢磨だけが俺を変なあだ名で呼ばないんだから、俺だって琢磨を特別扱いして当たり前だ。幼馴染みで、付き合いが長くて、琢磨はたぶん童貞だし、俺のことを頼ってくるし、俺は琢磨のことが好きだし、お互い好きなら仕方ないだろ。
琢磨がセックスしてる訳ない。
だってあいつは童貞だから。たぶん。
でも、もし、してたら?
俺は相手を寝取る。
ああ、それが答えか。
「そうじゃないって、どういう意味?」
俺が尋ねても、深水はこちらを見ずに、力無く足元に視線を落としている。
「お前、マジだろ、それ」
「は?」
「誰か知らない女とセックスしてたら許すのかって聞いたのに、お前、そんなの微塵も信じねえじゃん。それ、恋愛の好きだろ」
『恋愛の好き』
衝撃だった。
俺はまた深水に掴み掛かった。でも深水を殴りはしなかった。できなかった。
「ハァ?」
俺の恋の相手は琢磨か?
「キレてんじゃねえよ。クソ、シャツが伸びる」
深水に腕を掴み返されて、俺は素直に指の力を緩めた。
「恋愛?」
「そうじゃねーの」
「俺は琢磨を好きじゃない」
「馬鹿言え。お前は吉田のこと大好きなんだろ」
そうだな。
でも違う。
「恋愛とか気持ちわりー」
琢磨に対する好きは、そういうんじゃなくて、もっと深くて、時々は喉の奥が詰まるような、でもすげーハイになって抱き付きたくなるような、そういう、見返りを求めない、掛け値もない、深くて、熱くて、簡単には捨てられないものだ。
こんなの、他の誰でもない、琢磨にしかできない。
琢磨じゃなければ、こうはならない。
これは、なんなら、琢磨が居なくても、俺一人だけでも十分成り立つくらいの強烈なものだ。最初に琢磨が三回笑ったら、あとの百万回は俺が笑う。セックスしたいかどうかに行き着く女に対する好きとは全く違う。
ある瞬間、思い出す度、心臓を掴まれるようなこの感情が恋なら、世界はもっと変わっていると思う。
「だから、お前いま気持ちわりぃんだよ」
深水は眉間に皺を寄せて言った。
そうか?
でも琢磨も俺に対して同じことを思っているはずだ。
琢磨も気持ち悪いってことか?
「死ね」
俺が言うと、深水は苦々しく笑った。
【初恋】