「どこにいたの」
責めるようになった俺の口調にウェンスは曖昧にごまかしたりしなかった。真っ直ぐ俺を見てから少しも笑わず「ノートを届けてた」と答えた。
「先生と少し話し込んじゃった」
「そっか。仲良かったんだ?」
「いや、ちゃんと話したのは初めて、かな」
ウェンスがマイヤー先生と話しているところは見たことがない。避けているのかとすら思ったことがあるのだから、話し込んだというウェンスの主張には疑問があった。
「大丈夫?」
「何が」
「マイヤー先生、生徒と遊んでるって噂あるから」
「……そう?」
詮索している響きにならないよう注意してみたけれど、ウェンスは普段以上の平静さで俺の横を通り抜けた。
これは警戒されている。
「8回生から11回生が趣味らしいから、ウェンスだって危ないよ」
「詳しいね」
「火のないところに煙は立たない」
「……」
「今回一人で行くようにしちゃったのは俺のせいだけど、あんまり無防備だと心配だよ。ウェンスは今力を付けてる途中なんだし」
「…ありがとう」
「……」
ウェンスは教科書類を丁寧に縛ると重そうなそれを両腕で抱え上げた。細い腕は針金のように巻き付きている。シャツの上からでも白い肌に食い込む様が思い浮かぶから痛々しい。
気軽に持とうかと申し出られる関係ならよかった。
ウェンスが健康で生きることに直向きならよかった。またそうなればいいと思っている。
けれど今はその時ではない。
俺は回復の兆しのある彼に無闇に手を貸すことはしたくないけれど、彼を直視していることもできずに自分の荷物に目を落とした。ロッカーに置いたままのものが多いので軽く済んでいる荷物は外国語とその辞書程度だ。
持っていても痛くない。
普通はそうして自分の体力に見合ったものだけ持つものなのだろう。
他人の荷物は背負えない。
せめて彼から発する声くらいはと、「ジョシュは、」と切り出したウェンスのそれに俺は耳を澄ましていた。
「ジョシュは、そういう『遊び』が嫌い?」
「……」
「好きではないみたいだけど」
「……、」
恐らく俺は縋る目で彼を見ていただろう。望む答えが欲しいと言う我が儘な態度を取っていただろう。
ウェンスの嫌いな『噂』を俺が態と口にしたことに気付いたのかもしれない。マイヤー先生を故意に悪く言う俺が不快だったのかもしれない。
しかしそのどれも的外れ。
これから宣告される真実に身構えた。
「頽廃的だと思うんだろう」
ウェンスが振り返った気配がしたけれど俺はそれに応えず余所見を決め込む。
「……間違いではあるんじゃないかな」
「冒涜だから?」
「……」
「やっぱり嫌い?」
「……」
「僕のこと、嫌いになるね」
「違う!」
「マイヤー先生、優しそうな声で誘うんだ。知ってた?」
「…、ウェンス…」
「何」
「無理矢理なんじゃないのか」
「何故」
「お前、避けてただろう」
「…誰を」
「マイヤー先生だよ」
「そう見えた?」
「見えたよ。少なくとも今年度はまだ一度も話したことなかっただろう」
「そうかな」
「ああ。避けてた」
「……それでなんで一人で行かせたの」
「それは、」
「僕が拒否すると思った?」
「……」
「泣いて付いてきてくれと懇願すると思った?」
「……」
「それを知ってて置き去りにしたの」
「……そうだよ…」
笑ってウェンスを見ると彼は驚いたようだった。
悲愴な言葉に対してウェンスの表情は淡々としている。号泣でもするのではないかと思わせる雰囲気なのに、一方では薄いけれど絶対に越えられない、或は越えさせない壁を築いている。
この一線を越えたい。
何年間も、毎日ずっと思ってきた。
「……」
自分がウェンスにとっての特別であると信じて疑わず、ピノやマイヤー先生のことを彼から遠ざけようとした。それで優越感を得ようとした。
「お前はマイヤー先生を拒否してくれると思ってた」
「何それ」
何故分かってもらえなかったのか。
「自分でも、分からない」
それは俺がウェンスを理解していなかったからだ。
ウェンスは綺麗なだけの人間ではない。厳しく自分を貶すだけの根拠は確かに彼の中に巣くっていて、それに触れなければ完全には治らない。
彼は病んでいる。
「……」
体育を見学しながらピノと会話する彼は健康を望んでいた。マイヤー先生を避ける彼は健全を望んでいた。
けれどウェンスは俺に死にたいとばかり言う。
明るく振る舞う程に白々しさが増して失笑に近く、親身になって擦り寄る程に一層避けられてしまう。楽しい話がしたいのに希望の未来を語りたいのに彼はそれを許さない。
もう、疲れた。
「マイヤー先生に犯されたの? ピノとはどう? 俺は、お前の中にいるのかな。ウェンスは俺を何度も拒否してきたけど、それに従っていた方が君の為だったのかな。分からないよ」
笑うことしか、できないよ。